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獅子の遺伝子BACK NUMBER
今年の西武はなぜ勝てる? 西口文也監督“しなやかな勝負師”の知られざる原点を探る「え、西武に入団したのにいきなりアメリカ武者修行…!?」
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNaoya Sanuki
posted2025/05/24 11:01
現役時代の西口監督の勇姿。常に飄々としたメンタルの原点はプロ1年目の意外な経験にあった?
「周りの選手の給料は多分、8万円から10万円くらいだったと思う。エラーが続いた選手のロッカーがある日突然、空っぽになっているという映画のような光景もよく見ました。
一方で、みんなが貪欲にアピールするなかで、小柄なバッターでも思い切りよくスイングしてホームランを打って結果を残す、というような姿も見ることができた。あの環境の中でできたことは自分にとって大きなプラスになったと思います」
帰国から先発ローテ入りへ
現地で外国人の投手コーチから教わったチェンジアップは、西口にとって大きな武器となった。野球留学は当初秋までの予定だったが、投手陣の主力に怪我人が続出したことで7月に呼び戻され、9月には初先発初勝利。ここから、右腕はスターダムに乗っていく。
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プロ2年目の96年は先発ローテーションに定着しリーグ2位の16勝。97年からは3年連続で開幕投手を務めるなどフル回転してリーグ連覇の立役者になり、名実ともにチームのエースになっていった。
勝負師・東尾監督
自身を見出した東尾監督には、忘れられない思い出がある。1997年9月13日、オリックスとの熾烈な優勝争いの最中に、遠征先の神戸で東尾監督の部屋に呼ばれた。西口の次回先発予定日が台風予報だったため雨で流れると見た指揮官は、翌14日のオリックス戦からリリーフ待機を命じたのだ。先発の後を受けて7回からリリーフし、3イニングを2安打1失点。しかし、これだけでは終わらなかった。
「翌日も一応リリーフ待機していたんです。でも前の日に55球投げていたし、さすがに出番はないだろうと思っていたら5回にブルペンの電話が鳴った。『監督が行けるか? って聞いているぞ』って」

