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獅子の遺伝子BACK NUMBER
今年の西武はなぜ勝てる? 西口文也監督“しなやかな勝負師”の知られざる原点を探る「え、西武に入団したのにいきなりアメリカ武者修行…!?」
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNaoya Sanuki
posted2025/05/24 11:01
現役時代の西口監督の勇姿。常に飄々としたメンタルの原点はプロ1年目の意外な経験にあった?
ライオンズ一筋21年。出発点は1995年、立正大学からドラフト3位指名でプロの門をくぐった。当時のライオンズは黄金時代の過渡期にあった。9年間で8度のリーグ優勝を果たした森祇晶監督が退任し、東尾修監督が誕生。当時45歳の指揮官は、西口にとって同郷・和歌山の大先輩でもあった。
「プロに入って、周りを見回すと錚々たるメンバーでしょ。自分の中ではいきなり一軍で、というより1年間はしっかり二軍で体力をつけて2年目に何とか一軍に上がりたい、という考えでいました」
いきなりアメリカに!?
ところが入団直後の3月、ルーキーに思いもかけない指令が飛ぶ。「アメリカに行って来い」。独立リーグ「ノーザンリーグ」のスーシティ・エクスプローラーズへの野球留学だった。
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「いきなり言われました。え? 西武に入団したのにアメリカ? 1年目でまだ何もしてないのにアメリカに行くんだ、って……」
今でこそ、アメリカのマイナーリーグや独立リーグの情報も簡単に手に入れることができるが、当時は未知の世界。メジャーリーグにも興味がなかったという若き日の西口監督にとって、それは過酷な環境だったという。
バスの車中のベッドにぎゅうぎゅうで
「ロッカールームで用意されているのは食パンとピーナッツバターだけ。移動も常にバスで、最長14時間くらい揺られていました。車内の椅子が二段ベッドに変形するようになっていて、そこで移動しながら寝るんです。体の大きい選手は一人で独占できるけど、僕みたいに細い選手は二人で並んで重なるようにして、ぎゅうぎゅう……。着いて1時間後に試合、というようなこともありました」
本場のハングリー精神は、22歳の右腕に大きな影響を与えた。

