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「葛藤はあったと思うんです。でも…」高校駅伝で話題の“集団転校”…思い出す“2012年の豊川高校”の衝撃 転校組を「受け入れられた」納得のワケ
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和田悟志Satoshi Wada
photograph byJIJI PRESS
posted2025/05/19 06:01
2012年都大路で初出場初優勝を達成した愛知・豊川高の胴上げシーン。留学生を除くとアンカー以外は全員、宮城・仙台育英高からの転校組だった
高体連には有力選手の移籍を防ぐために、夏のインターハイなどは「転校・転籍後6カ月未満の者は参加を認めない」という規定がある。仙台育英高の選手たちの集団転校は、震災特例とは認められなかったため、この規定により服部や一色は夏のインターハイ路線には出場することができなかった。
それでも春先から新生・豊川高はインパクトを残した。4月上旬の金栗記念では高校男子5000mの最終組で、1着にカレミ・ズク、2着に服部、3着に一色、5着に土屋貴幸と上位を独占。特に服部と一色は、インターハイに出られなくとも、その後も各記録会で好記録を連発した。
秋には愛知県の、いや、全国の高校駅伝の勢力図に大きな変化が起きることを予感させる活躍ぶりだった。
インターハイ予選…転校組が「めちゃめちゃ応援してくれた」
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転校生の活躍に、もともとの在校生も奮起した。皆浦さんはインターハイ路線では5000mに出場し、激戦区の愛知県で4位に入る健闘を見せた。東海大会で敗れ、全国出場は逃したものの、1年時から着実に成長しているのを示した。
「インターハイ予選の時は転校組のみんなが、自分たちは出られないのにめちゃめちゃ応援してくれていて。全国レベルの選手に応援されるのは、自分でもうれしかったですね。
たぶんいろいろ葛藤はあったと思うんです。転校組はいろいろ風当たりが強かったと思いますし、最後のインターハイでもある。どこで何を言われているか、自分には想像できませんでした。でも、普段はすごく楽しそうにしていて、そういう葛藤を全然、表に見せませんでした。強くても威張らないし、本当に良い人たちでした」
だからこそ、チームはまとまっていった。加えて、当時の豊川高は大らかな雰囲気があったことも一因だろう。当時の強豪校としては珍しく、頭を丸刈りにする習慣もなかった。そんなこともチームの雰囲気を醸成していたのかもしれない。
そして、いよいよチーム力を爆発させる時が来た。
森監督は駅伝で全国優勝を掲げていたものの、皆浦さん自身は当初はなかなかそんな意識は持てなかったという。これまで全国高校駅伝に出場したことのないチームなのだから、当然といえば当然だ。
だが、一夏を越えて秋を迎えると、はっきりとその意識は変わっていた。

