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「家賃を払うのが精一杯でした」Vリーグを辞めた西堀健実が浅尾美和と出会うまでの“壮絶な生活”…「西堀ツインズ」と注目を浴びた裏の葛藤 

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吉田亜衣

吉田亜衣Ai Yoshida

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photograph byShiro Miyake

posted2025/05/22 11:01

「家賃を払うのが精一杯でした」Vリーグを辞めた西堀健実が浅尾美和と出会うまでの“壮絶な生活”…「西堀ツインズ」と注目を浴びた裏の葛藤<Number Web> photograph by Shiro Miyake

西堀健実さん(Biid株式会社所属)のNumberWebインタビュー第2回/ウエア提供 ウィルソン

「姉ちゃんヅラするな!!」妹・育実と言い合った日

 西堀は自分に唯一声をかけてくれたJTマーヴェラス(現・大阪マーヴェラス)へ妹とともに入社を決めた。妹は正セッターとしてコートに立ち、2年目には代表入り。西堀は当初JTで出番はあったものの、アタッカーとしての出場機会は徐々に減り、リベロとして試合に出るようになっていった。悶々とする日々だった。妹とは普段仲は良かったが、JTに入って初めてバレーボールのことで衝突した。

「私が妹の練習のことを指摘すると、『4分しか違わないんだから、姉ちゃんヅラするな!!』と言い合いになりました。とはいえ、私は私でとにかくコートには立っていたいという気持ちがあったので、休みの日ももっぱら練習。チームメイトが遊びに行っていても、それを羨ましいと思ったことはなかったし、練習は苦じゃなかったです。でも、3年目くらいで限界を感じました。努力しても越えられない壁があると、初めて思いました」

 西堀は退社を決意した。妹もレギュラーの座を捨て姉についていくと言った。もうバレーボールはいい。スポーツトレーナーを目指そうかと考えていた。その反面、まだまだ身体は動くしバレーボールができないわけではない。どう進むべきか迷っていた。

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 そんなときだった。妹と2人でコートに立てるバレーボールがあるということを知った。それがビーチバレーだった。

大企業JTを辞め、失業保険で食いつないだ

 2003年にビーチバレーへ転向。最初は、ビーチバレーの選手たちがどこで練習しているかもわからなかった。中学時代の恩師のツテで、同じ長野県出身でシドニー五輪ビーチバレー日本代表の高橋有紀子氏にたどり着いた。高橋氏が神奈川県平塚市のビーチで練習を見てくれるようになった。とりあえず競技の俎上には乗ることはできたが、生活は苦しかった。

「辞めたことに後悔はないんですけど、当たり前のようにJTという大企業で、何も考えずにバレーボールだけやらせてもらっていたことが幸せだったんだって気づきました。競技をしながらどうやって生活していくか、何もわからない状態。当然、お金はない。それなのにビーチバレーを始めた。行動力だけはへんにあったんです」

 しばらくは失業保険で食いつなぎ、その後は派遣のアルバイトに没頭した。引っ越し、パン工場、パチンコ屋、化粧品のシール貼り、パソコン入力等……とにかくいろいろやった。やがてスポーツショップで妹と2人、常勤で働くようになった。仕事の合間に練習していたが、日没が早い冬季はビーチで練習することができなかった。

「朝8時から夕方5時まで働いているので、夏は仕事が終わってから練習できても、冬はすでに真っ暗。妹と2人で暗い海をよく走っていました。練習時間も短い、試合では知らない相手に負け、風にも翻弄され続けて。弱いから賞金で稼ぐという観念もないし。家賃を払ってご飯を食べていくのが精一杯でしたね」

【次ページ】 妹と解散し、ペアを組んだ“ある選手”

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