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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
原晋監督から「あいつがいるから」と絶大な信頼の「青学大箱根駅伝V4主力」が遂に…名選手が目立つ今年の引退ランナー総まとめ!<一覧リスト付>
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2025/03/25 11:03

2025年は例年にもまして忘れがたき名ランナーが数多く引退する。どんなランナーたちがシューズを脱ぐのだろうか? 写真は青学大〜GMOインターネットグループで引退を表明した下田裕太の学生時代
NTT西日本入り後にマラソンで開花した山本翔馬
中西が昨年の防府読売マラソンで優勝した時、2位になった山本翔馬(NTT西日本)も今シーズンで引退する。山本は、大東文化大で3年時、93回大会の箱根駅伝で10区16位、4年時の94回大会は8区9位と2回、出走している。
18年にNTT西日本に入社してからは、ニューイヤー駅伝に20年、21年と出場。初マラソンは20年のびわ湖毎日マラソンで、2時間09分18秒で日本人2位、総合5位に入った。「体中がバキバキで、むちゃキツかった」とレースを振り返ったが、その後もマラソンを軸に練習を積み、22年の防府読売マラソンでは粘りの走りで2位に。23年のパリ五輪代表選考会マラソングランドチャンピオンシップ(MGC・51位)にも出場した。昨年の防府でも2位と好走を見せ、生まれ育った関西でのレース、大阪マラソンでラストを締めた。
設楽兄弟と同期「困った時の小山司」
小山司(SUBARU)は、粘り強さと安定感のあるランナーだった。武蔵越生高時代は、設楽悠太、啓太兄弟とともに走り、都大路に出場。帝京大では箱根駅伝を3回駆け、2年時に5区12位、3年時は5区5位でチームの総合4位に貢献した。4年時はエースの故障で中野孝行監督から「頼む」の命を受け、2区(12位)を任された。常に安定した走りでチームを支え、中野監督の信頼が厚かった。
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卒業後、14年に加入したSUBARUでは駅伝とマラソンの両輪で活躍した。マラソンは15年の延岡西日本マラソンでデビューを果たすと、23年の別府大分毎日マラソンで2時間8分00秒の自己ベストを更新、同年のMGC(28位)に出場した。
印象深いのは、2022年ニューイヤー駅伝6区2位で、チームを史上最高順位の2位に導いた走りだ。大学時代からハードコンディションに強く、ピークを外さず、どんな時もアベレージ以上の結果を残すことから「困った時の小山」と呼ばれていた。実業団でもその強さを発揮して、このときも6区の猛烈な逆風の中を耐えて走り、区間2位となった。
タイムよりも結果を重視し、懸命に走る姿勢で陸上ファンやランナーに感動を与えてくれた。引退レースになった2月大阪マラソンを走り終えて仲間に胴上げされ、33歳、21年間の競技人生の幕を下ろした。
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