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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
原晋監督から「あいつがいるから」と絶大な信頼の「青学大箱根駅伝V4主力」が遂に…名選手が目立つ今年の引退ランナー総まとめ!<一覧リスト付>
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2025/03/25 11:03

2025年は例年にもまして忘れがたき名ランナーが数多く引退する。どんなランナーたちがシューズを脱ぐのだろうか? 写真は青学大〜GMOインターネットグループで引退を表明した下田裕太の学生時代
最後のレースになった長崎県下郡市対抗駅伝を終えた後、的野は「マラソンを走っていないので、走り切ったではなく、スピードを出し切った。スピードが武器なので、最初と最後ぐらいはカッコいい所を見せたかった」と語った。三菱重工の長距離競技チームの名称は「陸上部」ではなく「マラソン部」だ。生涯マラソンを一度も走らなかった的野には、仲間やチームへの配慮があったのだろう。
三菱で10年、陸上を始めて23年、長くメガネランナーとして親しまれてきた競技人生に別れを告げ、今後は指導者として後進の指導にあたることになる。
同じ三菱重工では、高卒ながら18年のアジアクロカン日本代表として走るなど活躍した目良隼人、国学院大時代に箱根駅伝10区5位(94回大会)、6区13位(95回大会)と2度出走し、23年の延岡西日本マラソンで3位の走りを見せた江島崚太も引退した。
大阪マラソン11位で有終の美を飾った中西亮貴
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中西亮貴(トーエネック)は、駒澤大に入学したが、在学中は思うような走りができなかった。箱根駅伝は94回大会の1度の出走に終わり、6区14位。チームは総合12位でシード権を失う厳しいレースを経験した。
卒業後、18年にトーエネックに入社し、当初はトラックでスピードを磨いた。マラソンのデビュー戦は22年の別府大分毎日マラソンで、2時間08分51秒と上々のスタートを切った。昨年12月、3回目のマラソンとなる防府読売マラソンでは2時間09分07秒をマークし、マラソンで初優勝。駅伝では、19年から25年まで7年連続でニューイヤー駅伝(5区、6区、7区、2区)を走り、チームを支えた。
「記録を出す選手より、大会で優勝するただ一人の選手になりたい」というポリシーで走り続け、引退レースになった2月の大阪マラソンでは2時間07分29秒の自己新をマークし、総合11位。まだ29歳。この結果だけ見ればもう少しやれるようにも思えるが、見事に有終の美を飾った。