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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
原晋監督から「あいつがいるから」と絶大な信頼の「青学大箱根駅伝V4主力」が遂に…名選手が目立つ今年の引退ランナー総まとめ!<一覧リスト付>
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佐藤俊Shun Sato
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2025/03/25 11:03

2025年は例年にもまして忘れがたき名ランナーが数多く引退する。どんなランナーたちがシューズを脱ぐのだろうか? 写真は青学大〜GMOインターネットグループで引退を表明した下田裕太の学生時代
青学大箱根V4のあの主力が引退
下田裕太(GMOインターネットグループ)は、大阪マラソンを終えた2日後の2月26日、SNSで現役引退を表明し、3月9日の静岡マラソンを最後に20年の陸上人生の幕を閉じた。
14年に加藤学園から青学大に進学したが、同期が12人いる中、10番目の選手だった。「ガチャガチャした走りをしていた」と原晋監督の評価はそれほど高くなかったが、粘り強い走りで頭角を現し、箱根駅伝では2年から3年連続で8区を任された。「8区に下田がいるから」と原監督やチームメイトから絶大な信頼を得て、実際に3年連続で8区区間賞を獲得する素晴らしい走りを見せた。
GMOインターネットグループに入社後はマラソンで結果を出せず、19年に一時は引退も考えた。だが「自分から辞める必要はない。走るのが好きならやめろと言われるまでつづけるべき」というトレーナーの言葉に救われ、20年の東京マラソンで2時間07分27秒の自己ベストをマークした。
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24年の別府大分毎日マラソンでは2位になり、「東京世界陸上への足掛かりになった」と世界への挑戦に期待が膨らんだが、今年の大阪マラソンでその夢が潰えてしまった。
まだ28歳と若く、陸上のキャリアの底がまだ見えていない中での引退は「早いのではないか」という声が多かった。現役時代は「陸上をサッカーや野球のように夢のある競技にしたい」と語っていたが、引退後は指導者になるのか、何かをプロデュースするのか、下田の今後が楽しみだ。
三菱重工の名物「メガネランナー」が指導者へ
的野遼大(三菱重工)は、長崎県五島市出身で07年全中800m、1500mで2冠、ジュニアオリンピック800mでも優勝するなど、早くからスピードランナーとして全国に名を馳せた。11年に進学した順大時代は故障などで箱根駅伝は1年時の出走(7区7位)の1度きりで終わったが、トラックに軸を置いて活躍した。
卒業後は地元に戻り、中距離を軸に活躍し、20年日本選手権の1500mでは最後尾から追い上げる展開で3分41秒82の自己新、2位に入賞した。同年、全日本実業団の5000mは13分37秒83の自己新で11位、日本選手権5000mでは13分35秒63の自己新をマークして8位入賞を果たした。トラックで驚異のスパートを披露し、自らを演出する走りでファンを魅了し続けた。