- #1
- #2
テニスPRESSBACK NUMBER
「もうグランドスラムには戻れないなって」錦織圭と同学年の〈消えた天才〉森田あゆみの長い苦闘…それでもテニス愛を貫けた「真の才能」とは
posted2025/03/21 17:01

グランドスラム本戦初勝利をあげた2010年のウィンブルドンでの森田あゆみ(当時20歳)
text by

山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Getty Images
天才少女、天才少年……若くして世界で名を知られるようになる選手たちは皆、多かれ少なかれ自国でそうもてはやされていたはずだ。森田の場合は、2004年の全日本選手権で史上最年少でのベスト8入りを果たした14歳の頃に、一部マスコミでそんな代名詞を目にするようになっただろうか。
遡れば、大阪で開催された国際ジュニア大会で最高の格である『ワールドスーパージュニア』に13歳にしてワイルドカード(主催者推薦枠)を得て出場したときにも、すでにテレビカメラが1台張り付いていた。
「ただのびのび楽しくテニスをやっていた」少女時代
「けっこう取材を受けたりしたので、注目されているということはなんとなく気づいていました。でもその記事や映像を進んで見るということもなく、プレッシャーに感じたこともなかった。ただテニスが好きで、ほんとにのびのび楽しくテニスをやっていたと思います」
ADVERTISEMENT
当時も少数派で、昨今のツアーではほとんど見ることがなくなったフォア・バック両手打ちを武器に、強打で押しまくっていた森田のテニスは、「のびのびと楽しんでいた」という回想とナチュラルに通じ合う。体幹から四肢への連動がスムーズで、肩甲骨の可動域も広く、しなる腕から最大限のパワーをボールに伝えることができた森田の才能は、彼女の両手打ちをよりダイナミックにすることを可能にした。
丸山コーチとの出会い、プロ入り
攻めすぎでミスが多いことを指摘されたり、「もっとショットに変化をつけるように」とアドバイスされることも多かったというが、それでいい、それがいいのだと言ってくれたのが丸山淳一コーチだった。
「世界で戦うためには主導権をとるテニス、攻めるテニスにより大きな可能性がある」と考える丸山コーチのレッスンを受けた森田は、直感的に「このコーチに教わりたい」と思ったという。こうして丸山コーチのいた茅ヶ崎の『パーム・インターナショナル・テニス・アカデミー』へ、13歳のときに故郷の群馬から拠点を移したのだ。
プロ入りした15歳の年の全日本選手権では、期待を裏切ることなく優勝してみせた。15歳8カ月での優勝は、15歳4カ月の雉子牟田明子、15歳6カ月の沢松奈生子に次ぐ史上3番目の年少記録として現在も残る。ジュニアの国際大会でも実績を積み、のちに世界女王に君臨するカロライン・ウォズニアッキと8回も対戦しているのが印象的だ。うち2勝を挙げ、敗れた試合も多くが記憶に残る接戦だった。そのウォズニアッキが世界ジュニアランキング2位だったとき、森田は自己最高の3位につけた。