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テニスPRESSBACK NUMBER
「もうグランドスラムには戻れないなって」錦織圭と同学年の〈消えた天才〉森田あゆみの長い苦闘…それでもテニス愛を貫けた「真の才能」とは
text by

山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2025/03/21 17:01

グランドスラム本戦初勝利をあげた2010年のウィンブルドンでの森田あゆみ(当時20歳)
初めてのプレッシャー
ジュニア卒業後、17歳で迎えたウィンブルドンの予選を突破してグランドスラム・デビュー。初めてプレッシャーの高まりを感じたのは、そこから3年を要したグランドスラム初勝利までの時間経過の中だったという。
「最初は気にしていなかったんですけど、まだ1回も勝てていないということが、だんだん自分の中でも大きくなって、変に意識するようになっていました」
しかし、年4回のグランドスラムだけがテニスではなく、年間に二十数大会も出場するツアーがむしろテニスプロの日常の仕事だ。森田の進歩が、劇的でなかったにしろ着実であったことは、ランキングの推移に表れている。グランドスラムの1勝が得られず焦りを募らせた期間も、年末ランキングを見れば140位、118位、72位と上昇を続けていた。
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「気持ちの切り替えはほんとに早くて、落ち込んでいる暇があったら、次どうするか考えて進もうよって……私も丸山コーチもそうでした。だからテニスが嫌になったことはなかったです。もとから落ち込むような性格ではなかったんですけど、何かあっても答えを出して前に進むだけ、できないことがあったらできるまでやるだけっていう考え方は、丸山コーチに13歳のときから教え込まれていたのかもしれないですね」
結果的にキャリアハイだった2010年
2010年、20歳のウィンブルドンでようやくメジャー初白星を獲得すると、縛りが解けたように翌年の全豪オープンでは3回戦に進出し、同年の10月にWTAランキングを40位まで上げた。その年までにWTAツアーでは2度ベスト4まで進んだ。しかし、結局これらの実績をその後のキャリアで更新することはできなかった。
「準決勝あたりになると、疲労が内転筋とかにきてしまって、ベストのコンディションで試合をすることができませんでした。(下のカテゴリーの)ITFのレベルだと大丈夫なんですけど、WTAだとどうしても1試合で体にかかる負担が大きかったんだと思います」
連戦で持ち堪えられなかったのは、フォア・バックともに両手打ちというプレースタイルも要因だったかもしれない。両手打ちは、スイングが安定して強いショットが打てる反面、リーチが短いという欠点がある。だから、それをスピードで補うために足は要だった。
一括りに両手打ちと言っても、左右どちらの手を上にしてグリップを握るのか、その握りをフォアとバックで持ち替えるタイプ、持ち替えないタイプなど、何通りもスタイルがある。森田はフォアのときは右手が上、バックのときは左手が上にくる持ち替え型。世界に出て、プロのトップレベルで戦っていくためには、超がつく反射神経と予測能力が求められる。