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関係者の証言はいずれも食い違い…「プロレス史上最大の謎」42年前のアントニオ猪木“舌出し失神事件”の真実は? 実弟は「自作自演の可能性も…」
text by

欠端大林Hiroki Kakehata
photograph byHiroki Kakehata
posted2025/03/19 11:06

今から42年前、ハルク・ホーガンに敗れ救急搬送されたアントニオ猪木。一方で、その後の顛末には多くの怪情報が飛び交うことに…
もし猪木本人であれば、どうしてそのようなことをする必要があったのか疑問が残る。
大きなダメージを受けた翌日昼にあえて退院を強行し、それでいて転院先も分からないというのも不可解だ。
「深夜に自宅に戻った兄貴は、その後、病院に戻っていないんです。つまり3日の昼に“退院”することはあり得ない。もっとも、あれだけ世間を騒がせ、プロレスファンを心配させた張本人が、早々に病院を抜け出していたことが分かったら、あの失神は何だったんだと言われるでしょう。ですから事情を知った新間さんが、誰か身代わりを用意して、退院劇を演出したのだと思います」
それぞれ食い違う「3つの証言」
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この日の猪木の行動について、重要な証言が3つある。
ひとつは新間寿氏。そして当時東スポの編集委員で新間氏とは昵懇の間柄だった櫻井康雄氏(故人)。もうひとつは近年、YouTubeで当日のできごとに言及した当時の所属レスラー、前田日明だ。
新間氏は2002年に刊行された『アントニオ猪木の伏魔殿』(徳間書店)のなかでこう書いている。
<猪木は病院に担ぎ込まれ、面会謝絶になった。私と坂口は病室の外でひたすら待っていた。翌日の朝、徹夜明けで病室に入った。そのときの驚きといったらない。ベッドには猪木ではなく、猪木の弟・啓介が寝ているではないか。猪木は私たちの目を盗み、夜中にこっそり病院を抜け出していたのだ。>
啓介氏はこの証言を完全に否定する。
「この本が出た当時、新間さんと兄貴の関係は断絶しており、その証言には信頼性がありません。私自身も兄貴を自宅に送り届けた後、病院に戻っていません。新間さんが徹夜で病院に張り付いていたのであれば当然、そのとき兄貴が病院を脱出するのを見ているはずですし、私が身代わりになってベッドで寝るなど、病院側が許してくれるはずもない」