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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
選手の9割が集団転校…全国高校駅伝「前回準優勝」高校で何が? 過去のケースを振り返ると…「良かったのか、悪かったのか。僕の口からは言えない」
text by

和田悟志Satoshi Wada
photograph byJIJI PRESS
posted2025/03/06 17:03
昨年12月の全国高校駅伝。準優勝した大牟田高からの集団転校が報じられ、高校駅伝界に衝撃が走っている
全国高校駅伝で鳥取県代表は、過去に由良育英高(現鳥取中央育英高)が準優勝を2度成し遂げているが、昨年は50位に終わるなど全国では苦戦が続いていた。今回の転校で新生・鳥取城北高もまた、鳥取県勢の過去最高順位に並ぶ、もしくは更新するポテンシャルは十分にある。鳥取県ばかりか全国の勢力図にも大きな変化がありそうだ。
過去にもあった駅伝界の「集団転校」
今回の事例と同じような事態は過去にもあった。”集団転校”と聞いて思い出されるのは、2012年の全国高校駅伝・男子で優勝した愛知・豊川高だ。
東日本大震災の翌年のこの年、震災の影響による練習環境悪化と監督退任を理由に宮城・仙台育英高から豊川高へ男子7人、女子3人の計10人が転校した。実際には後者が大きな理由だろう。現に、高体連は震災の特例を認めなかった。
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高体連には有力選手の移籍を防ぐために、夏の全国高校総体(インターハイ)などは「転校・転籍後6カ月未満の者は参加を認めない」という規定があり、その規定通り、豊川高に転校した生徒たちはインターハイに出場することができなかった。
転校した選手には、後に青学大の黄金期を築いた立役者のひとりである一色恭志や、東洋大で活躍した服部弾馬がいた。ちなみに、女子にはリオデジャネイロ五輪1万m日本代表の関根花観がいた。
一色と服部は当時3年生で、春先からトラックで好記録を連発。本来なら夏の主役候補だった。しかし、高校最後のインターハイはスタートラインに立つこともできなかった。
だが、その鬱憤を晴らすかのように、駅伝シーズンを席巻する。
<次回へつづく>

