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「あれだけ好かれた騎手はどこにもいなかった」24歳で死去“オグリにも乗った若手のホープ”岡潤一郎を覚えているか? 盟友が語る「最後のレース」
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島田明宏Akihiro Shimada
photograph byNaoya Sanuki
posted2025/02/20 11:04
デビュー3年目の1990年、ユートジョージでNHK杯を制し重賞初制覇を飾った岡潤一郎(当時21歳)
3年目の1990年、NHK杯で重賞初制覇。宝塚記念では、国民的アイドルだったオグリキャップの騎乗を依頼され、圧倒的1番人気に支持されたが、オサイチジョージの2着と涙を呑んだ。
翌1991年にはリンデンリリーでエリザベス女王杯を勝ち、GI初制覇を果たす。この年も、翌1992年も46勝を挙げ、「乗れる若手」として非常に評価の高い騎手だった。
盟友が語る最後のレース「救護所ではもう意識がなく…」
同じ騎手として、千田の目に、岡はどんな乗り手として映っていたのだろうか。
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「同期だから、負けたくないと思っていたし、負ける気もしなかったので、客観的な評価ができるかどうかわからないですが、鞍ハマりがよかったし、体のサイズも馬乗りにちょうどよかったのかもしれない。競馬学校時代から、特に技術が飛び抜けていたわけじゃなかったけど、1年目に40勝以上するんだから、何か持っていたんでしょうね」
どんな性格の男だったのか。
「ものすごくいいやつです。誰からも好かれていて、競馬場のなかでも街でも、彼の悪口を聞いたことがなかった。まあ、モテましたよ(笑)。オグリに乗ったときは、直接ぼくらに何かを言ったわけじゃなかったけど、相当プレッシャーがあったと思う。負けたあとは、どう声をかけたらいいのかわからないくらい悔しがっていました」
騎手の独身寮では千田の隣の部屋で、北海道シリーズにも一緒に参戦していた。
「四六時中一緒にいました。最後も一緒に乗っていたんです。岡の馬が1番人気で、同期の岸(滋彦)が勝って、ぼくが2着だった。4コーナーで岡を抜いたあと、後ろで落馬があったのはわかったけど、それが誰かはわからなかった。救護所ではもう意識がなく、落馬のあと話をすることはできませんでした。ファンの方がくれた写真では、あのレースの返し馬で岡とぼくが何か話しているように見えるのですが、どんな言葉を交わしたのかは覚えていません」
そう話す千田は今から26年前、1999年1月、アメリカのサンタアニタパーク競馬場で海外初勝利を挙げた。

