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「正直、メンバーは凄かった」稲本潤一が忘れ難き“サンドニの惨敗”とドイツW杯の「最強」代表…でも現代表には「普通に負けるでしょ(笑)」
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佐藤俊Shun Sato
photograph byJMPA
posted2025/02/14 11:02
2006年ドイツW杯、ブラジル戦の稲本。「史上最強」の呼び声高かったが、結果は惨敗のジーコジャパンが印象深いと語るわけは?
しかし、初戦のオーストラリア戦に逆転負けを喫すると、クロアチア戦はスコアレスドロー、ブラジル戦は4‐1で敗れた。日本は、1勝もできずにグループリーグ敗退という惨憺たる結果に終わった。
今思い返しても衝撃的なW杯だった
「今、思い返しても衝撃的なW杯だったと思います。そうなったのは、やはり初戦の逆転負けが大きかった。絶対に勝たないといけない相手にやられて、いきなり追いつめられてしまった。その結果、自分の我というか、試合に出たいという欲が出て、みんなバラバラになってしまった。2点しか取れんかったし、ひとつも勝てなかった。自分もクロアチア戦とブラジル戦に出たけど、何も結果を残せなかった」
黄金世代に加えて中田英、中村俊輔、宮本恒靖、柳沢敦、川口能活ら実力者が揃ったチームだっただけに、この結果は日本のサッカー界はもちろん、サッカーファンにも大きな衝撃を与えた。
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「ドイツW杯で惨敗したことで、日本サッカーあかんやんって思われたと思うけど、正直なところメンバーはすごかった。時代が違ったら、ほぼ全員、海外でプレーできるぐらいの力をみんな持っていたと思う。それでもうまくいかないのがサッカーの難しいところだと思うし、改めてW杯で勝つことの難しさを感じた大会だった」
最後のW杯、南ア大会
その後、イビチャ・オシムが監督に就任すると、それまで代表の中心にいた黄金世代の名前は徐々に消えていった。逆にドイツW杯で1試合もピッチに立てなかった遠藤保仁が、オシム、そして岡田武史監督の代表チームの主力になっていった。
稲本は……最後に、南アフリカW杯を戦う代表に選出された。
「この時は、試合に出ることよりもチームを勝たせることとか、ドイツW杯のような失敗をしないようにという意識のほうが強かった。いい選手がいくらいても、ドイツの時のようになったら試合には勝てない。
岡田さんからはとくに何も言われていなかったけど、チームを盛り上げていく仕事を求められている、というのはわかっていた。それが苦にならなかったのは、30歳になって尖ったもんがなくなったのもあるけど、ドイツから4年という時間を経て、日本代表を広い視野で見られるようになったからだと思う」

