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「正直、メンバーは凄かった」稲本潤一が忘れ難き“サンドニの惨敗”とドイツW杯の「最強」代表…でも現代表には「普通に負けるでしょ(笑)」
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佐藤俊Shun Sato
photograph byJMPA
posted2025/02/14 11:02
2006年ドイツW杯、ブラジル戦の稲本。「史上最強」の呼び声高かったが、結果は惨敗のジーコジャパンが印象深いと語るわけは?
「ジダンとか、次元が違うなと思った。ボールを奪うことに関してはかなり自信があったけど、まったく獲れないし、触ることもできなかった。こういう選手に近づいていくためには、日本にいてはあかんと改めて思いました」
この試合で多くの教訓を得た日本は、その後、スペインを始め海外の強国と強化試合をこなして02年のW杯に繋げていった。稲本自身もアーセナルFCへの移籍を実現した。“サンドニの惨敗”は、02年日韓W杯に向けてチームも稲本自身もリスタートになった転換点的な試合だったと言える。
最も印象に残るW杯は……
では、一番印象に残っているW杯は、どの大会になるのだろうか。
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「2006年、ドイツW杯です」
稲本は即答した。
意外な答えだった。
稲本と言えば、2002年日韓W杯の活躍がすぐに思い浮かぶ。戸田和幸とボランチを組み、機を見て前に駆け上がって攻撃参加し、フィニッシュに絡んだ。ベルギー戦では2点目のゴールをたたき込み、日本を勢いづかせた。日本史上初のW杯勝ち点は、稲本のゴールによってもたらされたといっても過言ではない。また、ロシア戦では決勝ゴールを決め、W杯初勝利、日本のグループリーグ突破に貢献した。ワンダーボーイと言われ、世界中に認知された。稲本を語る上で象徴的な大会といえばこの2002年ではないのか。
「史上最強」と言われて臨んだ大会
「2002年は活躍できたし、世界中の多くの人に名前を知ってもらった。自分のプレーを出すことだけに集中できて、楽しい大会だった。ただ、俺らの世代はそんなにいなくて、シドニー五輪からの流れでいえば、もっと入って一緒にプレーしたかったというのがあったんです。ドイツの時はそれが実現できて、俺らの世代が8名もいた。俺らがやらなダメでしょ、という中でW杯に臨んだんですけど……」
ドイツW杯での日本代表は、日韓大会ベスト16の結果を出した選手たちがベースになり、黄金世代の選手も多数入って「史上最強」と称された。そのため、前回のベスト16以上の成績も可能ではないかと、ファンの期待は大きく膨らんだ。


