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甲子園の風BACK NUMBER
あの甲子園出場校で異変「なぜ熱血監督はやめたのか?」センバツ半年後“まさかの退任”…本人が語る“猛練習はNG”の今「地方公立校で甲子園は厳しい」
text by

柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/07 11:01
昨春のセンバツ甲子園に出場した北海道・別海高校
「公立校を率いる限界を痛感した」
島影は選手として甲子園に出場した経験はなく、監督としても釧路市にある母校の私立武修館高校を率いた2008年と2010年の2度、21世紀枠の候補校となったものの選外に。島影にとって甲子園は遠く遥か彼方にあるものだった。
「高校野球に携わる人間誰もが憧れる舞台ですから、あのグラウンドに足を踏み入れた瞬間は興奮しました。ただ、第一印象は『意外と狭いな』だったんです(笑)。普段、公式戦で使用する札幌ドームや釧路の球場は甲子園よりも広く、外野も人工芝。聖地に気圧される感じはありませんでした」
しかし、初戦で岡山の創志学園と対戦し、全国レベルの左腕から4安打しか放てず、0対7で別海は敗れた。そして夏、秋の戦いを経て、島影は退任の道を選んだ。
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「一度でも甲子園に行けたことで、『満足したのか』と言われることもあるんですが、むしろ甲子園の経験は悔しさしか残らなかった。どうしてああいう試合しかできなかったのかと自問自答しながら、すぐにでももう一度、甲子園に行きたいという気持ちは強かったんですが……」
一息挟んで、島影はこう続けた。
「単純に疲れちゃったというのが監督を辞めた一番の理由です。田舎の公立高校を率いることの限界を痛感しました」
甲子園を目指す熱血監督の葛藤
島影は高校の教員ではなく、北海道のコンビニチェーンである「セイコーマート」のしまかげ中春別店を家族経営しながら、野球部の外部監督として指揮を執っていた。店内で販売されるおにぎりやお弁当を午前3時に起きてつくり、休憩を挟んで野球部の指導をする日々を送っていた。
「家族経営をしているからこそ、融通も利かせられるし、二足のわらじを履くことも可能だったんですが、普通はこんな生活を長く続けられないですよ。このままでは店も野球部も中途半端になってしまう。それならば妻と3人の子どものことを最優先に考えようと思いました」
家族のために退任したというのは確かに彼の本心かもしれない。1年前に日本高等学校野球連盟の寶馨会長が21世紀枠の代表校を発表した時、島影の姿はナインたちが並んでいた体育館にはなかった。普通、甲子園出場の一報は、長い時間を共にしてきた選手たちと一緒に受けようとするのが監督ではないだろうか。しかし島影は、監督の仕事を支えてくれていた妻や子どもたちと一緒に、自家用車の中で吉報を、自身の夢でもある甲子園出場が決定する瞬間を、待っていた。家族を大切にする彼の人柄が感じられ、むしろ好感を抱いたものだ。
公立高校の野球部を教員以外の立場の人間が率いることの難しさを島影は幾度も口にした。


