- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
あの甲子園出場校で異変「なぜ熱血監督はやめたのか?」センバツ半年後“まさかの退任”…本人が語る“猛練習はNG”の今「地方公立校で甲子園は厳しい」
text by

柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/07 11:01
昨春のセンバツ甲子園に出場した北海道・別海高校
「プレー中のミスについて怒ることはありません、殴ったりしたことももちろんありません。挨拶や生活態度に対して、ダメなことはダメだと強く言葉にしていた程度です。このやり方に関して、快く思っていない保護者の方もいたでしょうね。だからといって、自分の信念を曲げるつもりはなかった」
野球人口が減少し、有望選手が私立に集中するなか、地方の公立校が甲子園にたどり着くためには、監督自身だけでなく生徒にも多少の無理は必要になる。だが、甲子園への思いが強くなればなるほど、島影のやりたい練習と学校の掲げる指針は乖離したものになっていく。
練習時間や休日の考え方について、島影は勉強を本分に考える学校と折衝を繰り返し、厳しい指導方針に対しても生徒やその保護者と意見がぶつかることが少なからずあったのだろう。島影はジレンマを抱え、やがて心身が疲弊していった。
ADVERTISEMENT
学校の見解にも一理あるからこそ、地方の公立校を率いて甲子園を目指すことの限界を痛感し、島影が自ら身を引くことで部内の混乱を落ち着かせたのだ。
主将は今…漁船にいた
「今後も野球には携わっていきたいですし、野球人口が減り続けている現状を見れば、小学生や中学生への指導も考えています。ただ、やっぱりもう一度、監督として甲子園の舞台に立ちたい気持ちは強い。聖地は何度でも訪れたい場所でした。オファーはいつでも待っています(笑)」
島影にインタビューした日の午前11時過ぎ、知床半島と根室半島の中間に位置する別海町の尾岱沼(おだいとう)漁港に入港する漁船があった。大型のホタテを62ケース積んだその船に、高校3年生が研修見習いとして乗っていた。
3月1日に卒業式を控えている中道航太郎だった。
「島影監督だったからこそ、僕らはセンバツに出場することができた。島影監督がいない野球部は、ちょっと……やっぱり、島影監督あっての別海高校だと思います」
1年前のセンバツ出場時、主将だった18歳が島影の退任について口を開いた。〈つづく/「選手たちの証言」編〉


