敗者キム・イェジュン“じつは試合開始60秒にあった”異変「目だけギロギロ動かして…」通訳が訳さなかった井上尚弥への“発言”…キムの素顔を現地記者は見た 

試合後会見…キムの異変を見た

　敗戦後の青コーナーで、キムは泣いていた。その顔がモニターに映し出されると、観客から健闘を称える拍手が起きた。井上のインタビュー中、リングを降りて退場する際には、さらに長く、大きな拍手が敗者を包んだ。だが、試合前までまったく感情を見せなかったボクサーが人目も憚らずに涙するほどの痛みは、「グッドルーザーを称える拍手」で慰められるものだろうか。

「イェジュン、会見来ますかね」

　隣に座る記者が気を揉んでいた。ルイス・ネリ、TJ・ドヘニーと、直近の井上の対戦相手がダメージを理由に試合後の会見をキャンセルしていたからだ。それでもキムは来るだろうという予感があった。ダメージの多寡ではなく、あの生真面目な気質がそうさせるはずだ、と。

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　果たしてキムは会見場に姿を現した。左目下の内出血が痛々しい。とはいえ、もはや無表情ではなかった。試合を通じて感情を取り戻したかのように、記者の質問に対して笑みを浮かべるシーンさえあった。そこでようやく謎が解けた気がした。無愛想にも思えた試合前の表情の乏しさは、井上に情報を与えまいとする精一杯の抵抗だったのだ。

敗れた試合後、会見場に姿を現したキム ©Takuya Sugiyama

左目下の内出血が痛々しい ©Takuya Sugiyama

　見出しになるようなフレーズが飛び出した会見ではなかった。そもそも饒舌なタイプではないのだろう。それでも、左目を腫らしたキムの寂しげな笑顔は、どんな言葉よりも雄弁だった。

　氷のうで患部を冷やしながら会見場をあとにしたキムを見て、考えをめぐらせる。試合決定からたった13日の準備期間で、パウンド・フォー・パウンド最強と目される王者と向き合った挑戦者は、何を手にしたのか。過去最高といわれるファイトマネーか。あるいは「井上から逃げなかったボクサー」という称号か。だとしても、それらは本当に手に入れたいものではなかった。キム・イェジュンは、本気で井上尚弥に勝つつもりだったのだから。