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敗者キム・イェジュン“じつは試合開始60秒にあった”異変「目だけギロギロ動かして…」通訳が訳さなかった井上尚弥への“発言”…キムの素顔を現地記者は見た
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/01/26 11:03
井上尚弥に敗れた挑戦者キム・イェジュン。現地記者が見た素顔とは
「1ラウンドから全力で来てほしい」
会見で終始ローテンションだったキムの声のトーンが、わずかに上がった瞬間だった。
このとき、通訳は意味が重複すると判断したのか、キムの発した「チョウンブット(最初から)」というフレーズを省略した。厳密には「最初から、1ラウンドから全力で来てほしい」。この訳されなかった強調表現は、「チャンスがあるとすれば最序盤、出会い頭の一発だ」とキムが考えている証左のようにも思えた。かかり気味の井上が生涯唯一のダウンを奪われた、ルイス・ネリ戦の1ラウンドが念頭にあったのだろう。
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キムの要求に対して、井上は「1ラウンドから全力で……そうですね。ボクシングIQを高めて、作業をしていきたい」と応じた。作業。無機質で冷たい響きだ。アップセットの可能性はかぎりなくゼロに近い。そう思わせる受け答えだった。
無表情、孤独感…キムとは何者か
井上がときにジョークを発して会見の空気を和ませていたのとは対照的に、キムはまったく表情を崩さなかった。時折、目だけをギロギロと動かして会場を見渡している。過度に緊張しているわけでも、怯えているわけでもなく、端的に言って“空虚な時間をやり過ごしている人間”の顔だ。「チョウンブット」を言い終えた時点で、他に伝えるべきことなど何もなかったのかもしれない。
会見翌日、計量の1時間ほど前に、たまたま会場入りする「チーム・イェジュン」と鉢合わせた。チームの誰かが「レボリューション!」と声を張り上げたが、キムはカメラを向けられてもまるで表情を変えなかった。革命を成し遂げるつもりが本当にあるのか、その顔から窺い知ることはできない。
キムは井上と同じ100グラムアンダーの55.2キロで淡々と前日計量をパスした。脱いだ靴下とスニーカーをゆっくりと履き直す、几帳面そうな仕草が目についた。寡黙で真面目。そしてどこか、拭いがたい孤独感がある。それが「19歳まで施設で育った」というキムに対する率直な印象だった。
1月24日。「Akon's Beautiful Day」のエモーショナルなリリックを浴びながら入場するときでさえ、キムは無表情を貫いていた。だが、国歌演奏のセレモニーに至って、ついにポーカーフェイスに変化があった。