箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「ショックで動けなかった」立教大エースが“まさかの落選”…箱根駅伝4位「伝説の学連選抜」選手たちの執念「就活中に電話が…原晋監督からでした」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byNumber Web
posted2025/01/23 11:41
2008年、関東学連選抜チームの一員として箱根駅伝で9区を走った中村嘉孝さん。現在は立教大陸上競技部女子駅伝監督を務めている
合宿の帰り道、井村は電車の中で号泣したという。
「箱根は終わったんだなって、めちゃくちゃ泣きました。けど、当時の中田(盛之)監督が、気持ちだけは切らすなって。お前には絶対に可能性が回ってくるって。オレはそういう気がしているんだ、ってことを熱く語ってくれて、それで自分も諦めずに最後まで頑張れた気がします」
12月下旬、選手たちは再び、明治大のグラウンドに集まった。監督が呼びかけたのではない。選手たちが自ら連絡を取り合い、練習会の“お代わり”を希望したのだ。この時点で、寄せ集めの集団は一つのチームになっていた。
ADVERTISEMENT
監督不在の練習だったが、ここでも中村と井村は手を抜かなかった。まさに最後まで足掻き続けたことが、僥倖を呼び込んだのだろうか。
アクシデントに見舞われた側にとっては悲劇だったが、この時点で5区を走る予定だった青学大の先崎祐也(3年)が故障で出場を回避することとなった。さらに、出場予定の選手がインフルエンザにかかるなど、チームは直前のメンバー変更を余儀なくされた。
「就活中に携帯が鳴って…原監督からでした」
立教大の中村が連絡を受けたのは、ちょうどクリスマスの日だった。
「あの日は就活でビッグサイトにいて、スーツ姿で合同説明会を受けていたんです。そしたら携帯が鳴って、原監督からでした。『9区を任せたから』って。サンタからの贈りものというよりも、補欠からいきなり9区かって思いましたけどね(笑)。次の日だったか、急いでコースの下見に行きました」
同様の連絡が井村にもあった。監督経由で聞かされ、「オレの信じた通りになっただろ」とクシャクシャの笑顔で言われた。急な区間配置にも、二人が落ち着いて対応できたのは、それまでの準備を決して怠らなかったからだ。
原監督にとっても、これは苦渋の決断であっただろう。まだチームとしての出場がない箱根駅伝。できれば青学大のユニフォームをここでアピールしたいという思いは少なからずあったはずだ。だが、選手には潔い自己申告を求め、ケガのリスクを公平に判断して出場を取り止めさせた。それほどまでに、勝ちたい執念は本物だったのだ。
そうして迎えた、2008年の第84回箱根駅伝。
学連選抜チームのまっ白な襷には、選手16名と主務の名前が、オリジナルのチーム名と共にマジックで書き込まれていた。
<続く>