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「楽天球団のマイナスコメントをしたら、お金は払いません」楽天初代監督が語る“1年でクビ”のウラ側、驚きの覚書「消えた“楽天・清原和博”プランがあった」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/19 11:01
2005年最終戦。「田尾コール」が鳴り響くなか、花束を手にあいさつする楽天・田尾安志監督
田尾氏はまず9ゲームを1クールと捉え、シーズンを16クールに分けていた。1クールを5勝4敗ペースで進めば、貯金16となり、優勝争いに参加できる。逆に4勝5敗では借金16で、こちらは最下位争い。4勝4敗からの1勝が1位と6位の差なのである。そして、この1勝を決めるのは、1試合で5点とれるか否かだと田尾氏は結論を出していた。
「しかし、当時の楽天は平均得点が3.5点、失点が6.1、2勝5敗ペースの勝率2割8分1厘でした。これを3年間でなんとか5敗する間に4勝するという最低限のところまで持っていき、次の監督へバトンを渡したかった。なので、すぐに平均得点5点にはできませんが、そういうプランを持っていますと。当時、僕はグラウンドレベルでボビー・バレンタイン監督(当時ロッテ)や王貞治監督(同ソフトバンク)に選手移籍の話をつけていたので、補強もできますと。来年も最下位かもしれませんが、それでも5位に近い最下位にはなれると伝えました」
消えた“楽天・清原和博”プラン
この田尾氏のプランを聞いた広岡氏は「来年も絶対お前がやれ」と太鼓判を押した。ただし、広岡氏としては新しい有能なコーチを招聘する必要があると考えていた。
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「広岡さんは元巨人のOBなどをコーチに入れようとしていたみたいです。ただ、カネがかかると。ここで、今までのコーチくらいの年俸に抑えたいオーナーと広岡さんが揉め、結局GMの話はなくなったようです。もっとも、球団は広岡さんに『毎日、グラウンドに来る体力が大変でしょう』と、これまたリスペクトを欠いたことを言って断ったと聞いています。広岡さんのGM就任がなくなると同時に僕の監督続投も白紙になったのでしょう」
ちなみに、広岡GMの線がまだ残っていたとき、楽天は清原和博氏の獲得を検討していた。田尾氏は、珍しく三木谷オーナーから電話を受け、清原獲得について意見を聞かれたという。
「僕は戦力的には要らないと言いました。しかし、彼は人気があるし、来てくれたらファンは喜ぶ。僕も彼のバッティングを直す自信はありますと答えたんです。でも、結局なんの連絡もないまま広岡GMも清原獲得の話もなくなっていました」
「オレもう辞めるんだよ」97敗監督の胴上げ
そして、田尾氏にクビが宣告されたのは、シーズン残り2カードとなった9月23日だった。