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「楽天球団のマイナスコメントをしたら、お金は払いません」楽天初代監督が語る“1年でクビ”のウラ側、驚きの覚書「消えた“楽天・清原和博”プランがあった」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/19 11:01
2005年最終戦。「田尾コール」が鳴り響くなか、花束を手にあいさつする楽天・田尾安志監督
「球界再編はプロ野球界の危機です。楽天が成功しないと球界が衰退する恐れもあります。その中でいいチームにしようという気持ちで、コーチ陣にも頭を下げて来てもらっている。1試合の勝ち負けで、考えや方針が変わるようでは困ります。そんな薄っぺらい気持ちで僕は監督やってませんよ」
「これ以上言ったら、クビになる」
しかし、折り返しはなく、現場の声はトップに届かない。それを象徴するのが、当時のGM代行兼編成部長の広野功氏(元中日、西鉄、巨人)と田尾氏のやりとりだ。
「コーチ会議の際、広野さんから『若手を使ってくれないか』と言われました。しかし、僕は『使いたいけど、お客さんに見せられるレベルの若手はまだいません。素人のフロントに言われるなら聞き流せますが、元選手でコーチもしておられた広野さんに言われたら、え?となりますよ』と返したんです」
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会議後、広野氏は「実はあれはオーナーの意向だった」と田尾氏に弁解したのだが、田尾氏はこう言ったという。
「『そこでオーナーに説明して、説得するのが広野さんの仕事じゃないんですか』と僕が言うと『止めたけどまったく聞いてくれない。これ以上言ったら、クビになるかもわからん』とおっしゃったんです。それにまた僕は失礼なことに『じゃあ、クビになる覚悟でやってください。僕もそういう覚悟でやりますから』と言っちゃったんです。後年、OBクラブのイベントで広野さんとご一緒したときは謝りましたね」
球団内部はボロボロ「5位に近い最下位にはなれます」
球団内部がボロボロのなか、広岡達朗氏が来季のGMに就任する動きが出てきた。2005年の夏頃、田尾氏は広岡氏と面談をしたという。
「球団上層部としては、僕の2年目の去就は広岡さんの判断で決めるという方針だったようです。広岡さんと面談し、今後のチームの展望を語りました」
田尾氏には当時のプロ野球を戦う上で、確固たる勝利の理論があった。