プロ野球PRESSBACK NUMBER
「誰がエラそうにぬかしとんじゃ!」楽天初代監督が明かす“ブチギレ事件”「オリックスが1時間半も遅れて…」楽天初期のゴタゴタ「オレを地獄に落とすつもりか?」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/01/19 11:00
2005年4月、試合前のグラウンドに姿を見せ、田尾安志監督と握手する三木谷浩史オーナー
「僕の担当スカウトだった法元英明(元中日)さんから電話がありましてね。『監督、平石いうのがおるんやけど取ってくれんか。レギュラー取る実力ははっきり言ってないが、一度プロで自分を試してみたいと言うとるんだ』と。僕はトヨタにいたほうがいいと言ったんですが、本人がすぐクビになっても構わないとのことで、ドラ7でとりました。彼は結局レギュラーにはなれませんでしたが、楽天初の生え抜き監督になるなど指導者として優秀なので、プロ野球界に入ることができてよかったなと思います」
また、現役続行を希望するベテラン選手の話も田尾氏には持ちかけられた。それが現在、千葉ロッテマリーンズで監督を務める吉井理人氏だった。当時、吉井氏はオリックスから戦力外通告を受けていた。
「団野村さんが僕に『吉井をとってくれませんか。年俸500万でもいいから野球を続けたいらしいんです』とお願いしにきたんです。僕はいいかもしれないと思いましたが、コーチ陣に聞いたら戦力的に厳しいんじゃないかと。それでお断りしたんです。あのとき吉井くんを入れていたら、もっとチームが面白くなったかもしれません」
ADVERTISEMENT
のちに吉井氏は、2005年にオリックスに再入団し、今やロッテの監督まで務めている。吉井氏が楽天に入り、引退後コーチなどになっていたら球団の歴史は変わっていたかもしれない。
「オーナーから一度も連絡はこなかった」
このようなストーブリーグを経て、田尾氏は次のようなチームづくりを目指したという。
「まず、ベテランも若手も関係なく、みんな同じスタートラインで戦うということを選手に話しました。プロ野球ではプレーはまだできるのに年齢を理由に、使ってもらえない選手もいましたから、そういうのはやめようと思ったんです。この方針に共感してくれたのが山崎武司(元中日、オリックス、楽天)。『この言葉で楽天に行こうと思いました』と彼は語ってくれましたね」
山崎氏も当時オリックスから戦力外通告を受けていたが、田尾氏からのオファーで楽天入りを決断した選手である。2007年には、39歳でホームラン王と打点王を獲得するなど楽天で再度才能を開花させた選手だ。
「また、とにかくいいチームを作ろうと。お金をかければ、それなりの選手は強引にでも集められますが、それだとファンが応援しづらい。だから、ファンに応援されるような雰囲気の良さを作ろうとしました。選手にとってもいい環境で風通しがよく、コーチも携わりたいと思ってくれるようなチーム。そして、なによりオーナーに野球を好きになってもらうことも自分の使命だと思いました。そのためには、オーナーとしっかりコミュニケーションを取らないといけない」
実際、田尾氏は三木谷オーナーに当初こんなお願いをしていたという。
「球団創設1年目で、僕自身も監督1年目。『オーナーが心配なことがあったら、どんどん僕に言ってください。人を通すと必ず曲がって伝わるから、僕に直接言ってくださいね』と伝えたんです。僕のチームづくりの方向性について、しっかり話したかったんですが、ついぞそういう連絡はなかったですね」
新球団の監督として田尾氏は、相当な意気込みで臨んでいた。しかし、田尾氏とオーナーとの方針の乖離は大きくなっていくばかりだった。
<続く>