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「アメリカの球団はほぼ絞れています」大谷翔平もやらなかった「二刀流で直接米球界へ」小中高一貫進学校・桐朋高の“怪童”森井翔太郎とは何者か 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph byTakashi Shimizu

posted2024/12/20 17:02

「アメリカの球団はほぼ絞れています」大谷翔平もやらなかった「二刀流で直接米球界へ」小中高一貫進学校・桐朋高の“怪童”森井翔太郎とは何者か<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

NPBのドラフト指名には断りを入れ、すでにMLBの複数球団からマイナー契約のオファーを受けているという森井翔太郎

 森井は小学受験を勝ち抜き、桐朋学園の自主性を尊重する自由な校風の中で12年間を過ごした。多摩地区で人気のある桐朋学園小の受験倍率は毎年10倍ほどあり、森井少年も「お受験」対策用の塾に通い、感性を磨いていった。

自由奔放に突破した小学校受験

「ブロックを積み上げたり、今考えると特殊な受験勉強をやっていたのですが、わざと崩したりして怒られたりしていました。受験本番も、紙に描いてあるエプロンの形をはさみで切るのですが、自分はそれを真っ二つに切ったらしいです(笑)。それで合格したのは、奇跡的ですよね」

 当初はサッカーをやっていたが、近所の友達から勧められ、小1秋から府中市の学童チーム「住吉ビクトリー」で野球を始めた。そして小2秋に「武蔵府中リトル」に移り、軟式から硬式へと転向する。これが、メジャーに憧れを持つ一つのきっかけとなった。

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「リトルリーグはアメリカが発祥で、大会にメジャーリーグの方が来てくれていたりしていたので、自然と興味を惹かれていきました」

青木宣親に出会ったことも

 当時アストロズに在籍していた青木宣親さんが野球教室でチームを訪問したこともある。「うわ、本物だ……」。現役メジャーリーガーの技術に触れ、感動した記憶も残っている。

 本場の野球を身近に感じながら、全国優勝を2度経験すると、小6時にはライオンズジュニアにも選出。「自分が見たことがないようなレベルの選手がいっぱいで、そこで最初の挫折を経験しました」というが、高いレベルで揉まれながら、野球選手としての基礎を身につけていった。

【次ページ】 軟式転向というターニングポイント

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