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甲子園の風BACK NUMBER
「アメリカの球団はほぼ絞れています」大谷翔平もやらなかった「二刀流で直接米球界へ」小中高一貫進学校・桐朋高の“怪童”森井翔太郎とは何者か
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byTakashi Shimizu
posted2024/12/20 17:02
NPBのドラフト指名には断りを入れ、すでにMLBの複数球団からマイナー契約のオファーを受けているという森井翔太郎
中1でその後の野球人生を決めるターニングポイントが訪れた。練馬北シニアに入部するが、小6時に腰椎分離症で半年ほど運動が禁止された影響もあり、硬式は体に負担がかかった。身長も当時は154センチほどしかなく、投手、打者として突出したものがなかったこともあり、夏休みから桐朋中の軟式野球部でプレーすることにしたのだ。
軟式転向というターニングポイント
「小5くらいまでは通用していたんですけど、小6から成長がかなり遅くなり、ケガもあったので、硬式では通用しないなというのはありました。凄く迷いましたが、ここが一つの分岐点で、野球人生を歩む上で、どういう道を進んでいくかというのが決まったかなと思っています」
もしここで硬式を続けていたら、その後の爆発的な成長はなかったかもしれない。桐朋中では、ただやみくもに数をこなすよりも、まずは柔軟性を上げ、ケガをしない体づくりを優先した。ヨガインストラクターの母・純子さんから勧められたヨガを取り入れることで、骨格の歪みが改善。竹のように強くてしなやかな体へと変化するに伴い、身長も伸び、卒業時には178センチにまで達した。
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「野球と一見関係のないような動きでも、呼吸と動きを連動させるということは凄くつながっています。どのタイミングで息を吸って、どのタイミングで吐くのかというのを意識するだけでも違いますし、ヨガのおかげで、より効率的に練習ができるようになったと思っています」
メジャーリーガーという夢
この頃から純子さんと野球ノートを兼ねた交換日記を交わす中で、ドラフト1位でプロ入り、そしてメジャーリーガーになるという夢が具体化してきた。その数はこれまでに8冊に及ぶという。
ただ、中学時代は、硬式から軟式に変わったことへの対応に苦しんだ。「全然打てなかったです」と振り返ったように、年ごとにスイングスピードが増せば増すほど、逆に凡打を繰り返した。