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落合博満「クビになったら飲食店でもやろう」じつは“野心がなかった”プロ入り当時…なぜ3度も三冠王に?「歴史に名前を残す」オレ流の有言実行伝説 

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横尾弘一

横尾弘一Hirokazu Yokoo

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/12/30 17:05

落合博満「クビになったら飲食店でもやろう」じつは“野心がなかった”プロ入り当時…なぜ3度も三冠王に?「歴史に名前を残す」オレ流の有言実行伝説<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1985年、2度目の三冠王に輝きパ・リーグMVPを受賞した落合博満。翌86年も2年連続・3度目の三冠王を獲得し、プロ野球の歴史に名を残した

“世紀のトレード”で中日へ…三冠王宣言は封印

 落合が高校、大学と不遇だった野球人生を開花させた社会人の東芝府中では、都市対抗出場を目指してチーム一丸となっていた。4番兼主将の落合は、チームの勝利に結びつく働きをすることに充実感を得ていた。当時のロッテは、そんな落合のマインドと一致するチームだった。また、チームメイトも落合の姿勢から「自分の成績を少しでも上げ、チームの勝利に貢献する」というプロフェッショナリズムを学んでいく。

 ところが、3度目の三冠王を獲得した'86年のオフ、1対4という“世紀のトレード”で中日へ移籍する。ロッテの退団会見で落合は、「優勝できなかったのは悔いが残る。ロッテでできなかったことを中日で成し遂げたい」と神妙な面持ちで語った。

 この頃の落合は三冠王宣言よりも「チームを優勝させる」と口にしており、'88年には4番の仕事を全うして、中日をリーグ優勝に導く。

<続く>

#2に続く
「優勝監督インタビューで、落合は号泣していた」本当は“熱い男”だった落合博満…巨人時代にも「長嶋監督との約束を守れなければ末代までの恥」

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