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「監督、ちょっといいですか?」阪神・大竹耕太郎がたった一度だけ岡田彰布に話しかけた日…最初の会話は「冷たい人なのかなというイメージでした」
posted2024/12/16 17:04
text by
山口裕起(朝日新聞)Yuki Yamaguchi
photograph by
Kiichi Matsumoto
発売中のNumber1110号に掲載の[大先輩への感謝]大竹耕太郎「さりげないけど、見てくれていた」より内容を一部抜粋してお届けします。
岡田監督との「最初の会話」
秋が深まっても、心の中のモヤモヤはぬぐえないでいた。
11月中旬の昼下がり。阪神タイガースの大竹耕太郎は、行きつけの喫茶店で紅茶をすすると、どこか寂しそうな表情でつぶやいた。「あいさつができずに終わってしまった。どこかのタイミングで、きちんとあいさつがしたいんです」。
10月13日、チームはCSでDeNAに連敗し、今季の戦いが終わった。先発予定だった第3戦に向けて準備をしていた29歳の左腕も、この瞬間に、阪神での2年目のシーズンが幕を閉じた。
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試合後のロッカールーム。選手、コーチらが集まる中、岡田彰布監督だけは最後まで姿を現さなかった。すでに今季限りでの退任が発表されていた。大竹は感謝の気持ちを伝えたかったが、それができなかった。その日を最後に、会えないまま時間が過ぎていった。
最初の会話は、鮮明に覚えている。2年前の冬、12月9日だった。この日、プロ野球界で初めて現役ドラフト会議が開かれ、ソフトバンクに所属していた大竹は阪神に移籍することが決まった。すぐに関係者から岡田監督の連絡先を教えてもらい、電話をかけた。早稲田大野球部の先輩だが、面識はなかった。「大竹です。よろしくお願いします」。そう挨拶をすると、「おう、頑張れよ」とだけ返ってきた。わずか数十秒のやり取り。とくに会話が弾むこともなかった。「あいさつ程度でしたが、話した感じは厳しい人、冷たい人なのかなというイメージでした」と笑いながら振り返る。
監督が求める投手像とは
アピールしたい。チャンスをつかみたい。そんな思いから翌春の沖縄・宜野座キャンプは初日から飛ばした。
「最初は自分のことをわかってもらおうと思って、めっちゃ頑張った。でも、できないことをやろう、じゃなくて、準備してきたことを見てもらおうという意識でした」
監督と直接、会話を交わす機会はほとんどなかった。選手が近寄りがたいオーラもあった。ただその分、監督がメディアに向けて発する言葉に耳を傾けた。監督が求める投手像を敏感に知ろうと考えたのだ。
見えてきたのは、「制球力」だった。
監督は、無駄なボール球や四球を嫌い、テンポよく低めに投げ込む投球を理想としていた。驚いた。それまで5年間在籍したソフトバンクとは、対照的だったからだ。
「ホークスだったら、まずは球速を求められた。次に、三振の数。良い悪いではなく、評価の基準がまるで違ったんです」