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“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「ガンで逝った従兄弟、事故死した友のために」元“崖っぷちJリーガー”がシンガポール代表になるまで「板倉や鎌田がA代表に…自分は何してるんだ」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAyumi Nagami
posted2024/12/04 11:01
シンガポールのタンピネス・ローバーズFCでプレーする仲村京雅(28歳)。先日、帰化が承認されA代表デビューを果たした
仲村は、タンピネス・ローバーズFCを新天地に選んだ。ACLに出場の可能性がある強豪クラブでの日々は常に刺激的だった。
不動のエースに君臨し、所属2年目の2021年に念願のACL出場を果たした。グループステージでガンバ大阪に1-8、韓国の全北現代に0-9と大敗も喫したが、パス成功率とドリブル成功率がグループリーグでトップ3にランキングされるなど、目に見える結果を出した。その活躍が認められ、クラブからシンガポール史上最長となる5年契約の大型オファーをもらい、サラリーも格段に上がった。
条件も嬉しかったが、その時にクラブオーナーが放った一言が仲村の心を揺さぶった。
「冗談半分だったと思うんですけど『シンガポール代表を目指してもいいよ』と。でも、僕はその言葉にビビッときたんです。代表を目指すということをすっかり忘れていて、ずっと見返したいという気持ちだけでサッカーをしていた状態だったことに気付かされた。そういや、俺も夢ってあったよなって」
もう一度、国を背負ってピッチに立ちたい。10代の時に誓った想いが再びメラメラと蘇ってきた。
一度は帰化申請を却下されたが……
クラブと5年契約を結んだ段階で、両親にはその意思を伝えた。
「国籍を変えてA代表を狙おうと思う」
シンガポールに移籍した2019年に結婚し、翌年からは現地で生活を共にしてきた妻も「決めたことなら応援する」という温かい言葉をくれた。
FIFAが定めるルールに、5年間その国のリーグでプレーしないと帰化選手として認めないとの記載があったことで、帰化申請はシンガポール6年目を迎える2023年に定めた。
一度は帰化申請が却下されたが、「僕がどんな時もシンガポール代表になることを公言し続けていたので、クラブやシンガポールサッカー協会などの周りの人たちが本気で動いてくれた」と、予定より1年遅くはなったが、今年の3月21日に永住権を取得し、10月25日にはシンガポール国籍を取得することができた。
そして11月14日、ミャンマーとの親善試合でA代表デビューを果たした。