- #1
- #2
“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「ガンで逝った従兄弟、事故死した友のために」元“崖っぷちJリーガー”がシンガポール代表になるまで「板倉や鎌田がA代表に…自分は何してるんだ」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAyumi Nagami
posted2024/12/04 11:01
シンガポールのタンピネス・ローバーズFCでプレーする仲村京雅(28歳)。先日、帰化が承認されA代表デビューを果たした
11年前、U-17W杯の時とは異なる色だったが、赤いユニフォームを纏い、国歌が流れた時は全身から震えを感じた。
「国の代表として戦うことの責任感は、これまでのクラブとは全く違う戦いだった。国歌の時に『シンガポールのために戦おう』とより覚悟が固まりました」
この試合で仲村は勝利に貢献すると、マン・オブ・ザ・マッチにも選出された。街に出れば代表選手としての叱咤激励を受けるようになった。形は違えど、夢だったA代表でのプレーを実現させた今は、その先の目標もしっかりと見据えている。
「シンガポールはFIFAランキングが161位。日本からは程遠い存在ですが、W杯出場の可能性が1%でもある限り、諦めたくない。シンガポールサッカーの発展のために全力を尽くします」
現在、仲村は12月8日から開幕するASEANチャンピオンシップに向けて代表活動に励んでいる。
「僕のサッカー人生は浮き沈みが多かったけど、それがあったから気付けたことも多かった。すべての物事は自分のマインド次第ということを学びました。シンガポール代表になって『第二の人生』がスタートしたのではなく、長く続く自分の人生の一部分と思ってやっています。これまでがあったからこそ、今の自分があることを絶対に忘れないで生きていきたい」
サッカーはやっぱり技術1割、メンタル9割――これは日本代表・堂安律が発した言葉だが、仲村はこの言葉に強く共感したという。
賢明に花を咲かせようとする心が、想像もできなかった未来を切り開いた。仲村京雅の数奇な人生から大切なものを教わった。
〈前編から続く〉