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「命を捨ててバレーボールするなんて」栗原恵を襲った“脳血栓”…大病の原因は“ピルの副作用”「何万人かに1人というリスクがたまたま…」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2024/12/03 11:03

「命を捨ててバレーボールするなんて」栗原恵を襲った“脳血栓”…大病の原因は“ピルの副作用”「何万人かに1人というリスクがたまたま…」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

現役時代の闘病期を振り返った栗原恵さん(40歳)。周囲のサポートへの感謝を今も忘れない

 栗原さんの治療にあたった水戸協同病院の小林裕幸医師は、他のスポーツで脳血栓になった選手が復帰できた事例なども調べて、なんとか栗原さんがバレーを諦めない道を探ってくれた。しかし、現実は非常に厳しかった。ラグビーなど接触プレーが多いスポーツでは治療を継続しながら復帰できた例はゼロに等しかったという。

「治療のために血がサラサラになる薬を飲みながら激しいスポーツをするというリスクが非常に高かった。私の場合だと、ブロックを跳んだ時、もし不意にボールが目に当たってしまったら、脳の中で血管が裂けてしまうような可能性もあってやはり危ない、と。それでも先生は『まだ結論は待ってみよう、絶対に大丈夫だから』とずっと言い続けてくれました。先生にとってもチャレンジだったと思います。でも諦めるなと私の背中を押し続けてくれた」

病を克服してから2年半もプレー

 周囲に支えられ、栗原さんは4カ月後の2017年1月、コートに戻ってきた。

「主治医の先生と、チームと監督のおかげです。チームメートが病室にも会いにきてくれたり、今でも仲が良い佐藤美弥ちゃんとか、『メグさん、いつ帰ってくるんですか』っていつも声をかけくれてモチベーションを保たせてくれました。こんなに素敵な人間関係を築けたことも嬉しかった。若い時は人に弱みを見せるのが怖くて、自分を強く大きく見せようと思って周囲をシャットダウンしていた。でも全部が削ぎ落とされて、代表もない、何もない中で色々な人との関係性を作ることができた。ロンドン五輪で代表落ちしたあの時、引退しなくて本当に良かったと改めて思います」

 栗原さんは病を克服してからさらに2年半、プレーを続けた。ラストシーズンを過ごしたのは、アテネ五輪で共にプレーした吉原知子監督が率いるJTマーヴェラス。長年抱えてきた膝の故障の状態も良くなり、チームから強い慰留を受けるなかでの引退決断だった。

「監督のトモさん(吉原知子)から、もう1年どう? という言葉をもらった時に、なんて幸せな選手だったんだろうって感じて余計に未練がなくなったんです。ベテランになると役割も変わって、試合に出られないこともある。切られる恐怖心もありますし、逆に私がいることによって、もう一人若くて勢いのある選手を獲れるかもしれないのにと思うこともあります。でも、自分がまだチームに求めてもらえるんだと感じた時に、救われた気がしたというか、私がここにいても良かったんだという幸せな思いが湧き上がってきました。ありがとうという大きな感謝の思いを抱えてコートを去ることができました」

【次ページ】 今も残る“闘いの痕”「出産を控えているので…」

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