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大抜擢の先発でたった3球で危険球退場…カープの3年目ドラ1黒原拓未が失意のどん底から復活できた理由
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/02 06:02
智弁和歌山高から関西学院大を経て、21年のドラフト1位で広島に入団した黒原
結局、実戦に復帰することなく、1年目のシーズンを終えた。2年目の23年は二段モーションで制球力は上がったが、球への自信を持ちきれなかった。二軍で17試合に登板して6勝1敗、防御率2.58の好結果を残しながらも、一軍では初先発を含む5試合登板(3先発)で0勝1敗、防御率は10.66。まだ光は見えなかった。
3年目を前に、自分自身を大きく変えた。グラブを胸の前で止め、右足をゆっくり上げながらためをつくる投球フォームに変えた。フォーム改造が奏功し、体の力が球に伝わって球威が増した。そして、考え方も変えた。
「悪い時はフォームのことをいろいろ考え過ぎて(動きが)固まる傾向があった。体重移動と体を回転させるタイミングくらいで、あまり多くのことを考えないようにした」
始まりはつまずいたが、あれこれ考えなかった。マウンド上と同じようにシンプルに考えた。チームメートの支えもあった。開幕2戦目の試合後、同世代の益田武尚から無理やり連れ出されるように食事に出た。プロで苦い経験を多くしてきた大瀬良大地や中崎翔太からはメッセージをもらった。周囲が前を向くきっかけをくれ、黒原自身も奮い立った。
危険球退場のショックを乗り越えて
あの試合から中7日となる4月7日の中日戦で先発登板の機会を与えられた。ローテーションでは9日の甲子園での阪神戦だったが、前回の登板で敵地からブーイングを浴びていただけに、本拠地のマウンドに送り出すという首脳陣の配慮もあった。
1回を三者凡退で滑り出し、4回までわずか1安打。二塁を踏ませない投球を見せた。140キロ台後半の直球には切れがあり、カットボールやチェンジアップなどの変化球も冴えた。5回に1アウトから連打で1点を失い降板となったが、それまでやってきたすべてをマウンドで出せた。
「キャンプから自分の球にすごく自信あったので、前の登板では思うように行かず本当に悔しかった。2回目の先発ではある程度、発揮できたかなと思う。あそこがひとつの分岐点だった」