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ソフトバンク育成2位のち中日→戦力外でトライアウトから5年…地元で社会人監督「僕が悪ければ選手に謝ります」“独立Lの星”亀澤恭平36歳の今
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2024/11/13 11:02
ソフトバンク、中日に所属した亀澤恭平。35歳の今、社会人野球の監督になった経緯とは
「3年目が終わって、僕はどの球団でもいいから声をかけてくれればいい、という気持ちと、ソフトバンクで上がりたいという気持ちを両方持っていました。
結果的に、中日さんから声をかけてもらいトライアウトを受ける前に移籍が決まりました。中日に入団してからは、とりあえず成績を残すことしか考えていなかったですね。バットでも結果を残さないと一軍に残れないし、守備でも結果を出さないと残れないし」
又吉を中日に紹介したのは僕なんです
174cm77kgという小さな体ながらも中日での目覚ましい活躍は、独立リーグの「希望の星」という印象だった。
「プロ野球生活で鮮明に覚えているのは、2015年の開幕シリーズ、僕の一軍デビューの試合で打った初ヒットですね。でも、それ以外はあまり覚えていないです」
このように語る亀澤は“ある後輩”の存在によって、独立リーグからプロ野球へのルートを確立する役割を果たしてもいた。
環太平洋大学時代、2年後輩だった又吉克樹である。亀澤はこう明かす。
「又吉を中日に紹介したのは僕なんです」
又吉は独立リーグの選手としては当時史上最高となるドラフト2位で中日に入団し、ルーキーイヤーの2014年から4年連続で2けたホールドをマークするなどリリーフの一角として定着。22年にFAでソフトバンクに移籍後も年間30~40試合に登板するなど、34歳の今も一線級である。
「ドラフト2位で中日に入って活躍してくれたのは、独立リーグのいいアピールになったと思います」
また、松本直晃という又吉の大学同期の投手も、亀澤いわく「僕の後を追いかけて」香川からドラフト10位で西武ライオンズに入団している。
「僕が大学から独立リーグ、プロ、という道を指し示すことができたことで、後輩の進路ができたことは良かったかな、と思いますね。自分自身は8年目のオフに戦力外通告を受けたのですが、その時には僕は、プロ野球の世界はだいたい分かったので、もういいかな、と思いました」
決め手は「地元から必要とされている」
亀澤は2019年限りで中日を退団。12球団合同トライアウトに参加して2安打4出塁をマークした。2020年には琉球ブルーオーシャンにコーチ兼任選手で所属するが、コロナ禍で活動できず。翌2021年に引退を発表した。それから間もなくに就任したのは、社会人野球クラブチーム・ショウワコーポレーション硬式野球部の臨時コーチだった。
このチームの監督は、元阪急ブレーブスの加藤安雄氏だったが、この年11月には加藤氏に代わって監督に就任した。