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ソフトバンク育成2位のち中日→戦力外でトライアウトから5年…地元で社会人監督「僕が悪ければ選手に謝ります」“独立Lの星”亀澤恭平36歳の今
posted2024/11/13 11:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
亀澤恭平氏は、ソフトバンクを経て中日で活躍した俊足好守の内野手だ。創設時から独立リーグを見ている筆者にとっては、現ロッテの角中勝也に次いで独立リーグからNPBで活躍した「草分け的存在」という印象がある。
1年だけ…ドラフト育成2位でも「行くつもりでした」
岡山県津山市出身、地元の岡山県作陽高校から環太平洋大学で活躍したものの、プロからは声がかからず、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズに進み、1番を打って打率.303、3本塁打、21打点をマーク。2011年のドラフト会議で育成2位でソフトバンクホークスに入団した。
ソフトバンクでは育成選手だったが、2014年、テスト生として秋季キャンプに参加して、支配下選手として中日に入団。翌2015年には早くも107試合に出場、二塁を中心に三塁、遊撃も守るユーティリティとして活躍。当時の中日は、荒木雅博、井端弘和の有名な「アライバコンビ」がベテランの域に差し掛かっていたが、亀澤氏は守備力に加え、しぶとい打撃で存在感を示していた。
「大学を出て、親に『1年だけ挑戦する。ダメだったら就職するから』という約束で独立リーグに行きました。ドラフト会議が近づいて、僕はプロの方とは接触していなかったのですが、香川の西田真二監督は『お前はどの球団の何位くらい、お前は育成ね』など、いろいろ情報を教えてくださいました。結局、僕はソフトバンクの育成2位で指名されたんですが、育成でももちろん行くつもりでした。ソフトバンクのドラフトの同期で現役は、武田翔太だけになりました」
トライアウト受験前に中日から声が
ソフトバンクには3シーズンいて、支配下登録を勝ち取ることはできなかった。
「その当時から僕は、1年でも長くプロの世界で生き続けるにはどうしたらいいか、を一生懸命考えていました」
当時の育成選手は規定の3年契約が終わると、自由契約になる人が大部分で、ほとんどの選手は支配下登録になることはできなかった。ソフトバンクで言えば、亀澤の前年に育成ドラフトで入った牧原大成や甲斐拓也が支配下になったくらいだった。