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野球クロスロードBACK NUMBER
松井秀喜“4球団競合ドラフト”のウラ側で…指名漏れした「星稜高のエース」は何者だった? 「『恥ずかしい』が一番」「監督にも挨拶せずに…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/10/27 17:22
4球団競合の抽選の末、巨人が交渉権を獲得し野球部の仲間たちに胴上げされる18歳の松井秀喜。歓喜のウラで同級生エースに起こった悲劇とは
その目は、少し潤んでいたように思う。ネクストバッターズサークルをちらりと見やると、松井がそれまでの4打席と同じようにじっと自分の出番を待っている。
「ここで終わったらダメだよな。松井まで絶対に回さないといけない」
2球目。高めストレートを左中間に弾き返して三塁ベースまで到達した山口が、全身を使ってガッツポーズする。
勝負! 勝負! 勝負!
甲子園が唸る。だが、マウンドのピッチャーから投じられるボールは、それまでと同じ軌道で松井の横を4度、通過していった。
帰れ! 帰れ! 帰れ!
甲子園が明徳義塾にシュプレヒコールを浴びせる。三塁側スタンドからはメガホンやゴミがグラウンドに放り投げられる。
およそ3分の中断の間、山口は体をこわばらせている5番の月岩信成に「初球から振れ!」と、大声で届けていた。
その松井の後を打つ月岩がサードゴロに倒れ、星稜は負けた。明徳義塾の校歌が流れると、甲子園球場に再び「帰れコール」が轟く。それでもなお、山口にはまだ「負けた」という認識が脳にインプットされていなかった。
翌日の新聞で<松井5打席連続敬遠>の強烈な見出しとともに星稜が敗れたことが大々的に報じられると、ようやく気持ちを整理することができ、次の目標を見据えた。
進路は「大学進学」だったはずが…?
この時点で山口は、大学に進学するつもりでいた。実際に複数校から声がかかっており、秋の山形国体で優勝した直後には、報道陣を前に進路を表明していたほどだった。
そこには「4年後の成長次第でプロに」という狙いもあったが、それよりも将来的に高校野球の指導者になることも視野に入れ、教員免許の取得を考えていたという。そのなかで進学が濃厚とされていたのが立命館大だった。
「松井みたいなスター選手ならば高校からプロを目指そうと思いますけど、自分はそうじゃなかったんで。そのときは『松井と違う道を歩むんやろうな』と。それが、急にプロの話が湧いてくるっていうことになって」
山口は完成度の高いピッチャーだった。
左腕から繰り出されるストレートの最速は130キロ台後半を計測。カーブ、シュート、フォークと変化球も多彩に操り、ボール先行のカウントであっても各球種をコースにしっかりと決め切るだけの度胸もあった。