酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
注目は大谷翔平vsジャッジだけでない「1950年代に元祖地下鉄シリーズ」「21世紀の対戦成績は?」ドジャースvsヤンキースの名門ライバル80年史
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2024/10/23 17:01
2024年6月、ヤンキースタジアムでのドジャース大谷翔平。ワールドシリーズの場で名門同士は再戦する
1958年、ニューヨーク市内にヤンキース、ドジャース、ジャイアンツと3球団がひしめき、観客動員が難しくなっていた。そこでドジャースは、遠く西海岸のロサンゼルスに移転した。ドジャースはジャイアンツにも移転を促し、ジャイアンツはサンフランシスコに移転した。
西海岸初のメジャー球団となったドジャースとジャイアンツは、他球団よりもはるかに長い移動時間を強いられたが、そんな中で実力を蓄え、1959年にはドジャースがホワイトソックスを4勝2敗で破って2度目の世界一を達成、そして1963年には7年ぶりに、ヤンキースとワールドシリーズで相まみえた。
〈1963年 ドジャース4勝-ヤンキース0勝〉
サンディ・コーファックス、ドン・ドライスデールというドジャースの2大エースがミッキー・マントル、ジョー・ペピトーン、クリート・ボイヤーなどのヤンキース打線を寄せ付けずスイープ。ヤンキースは4試合で4得点に終わった。
「ミスター・オクトーバー」が誕生した年は…
〈1977年 ヤンキース4勝-ドジャース2勝〉
「ミスター・オクトーバー」と呼ばれたヤンキースのレジー・ジャクソンが5本塁打と大爆発、ドジャースものちに巨人に来るレジー・スミスが3本塁打するも及ばなかった。
〈1978年 ヤンキース4勝-ドジャース2勝〉
2年連続の顔合わせになったが、この年もレジー・ジャクソンが2本塁打8打点、打率.391と活躍。ドジャースのデービー・ロープスも3本塁打したが及ばなかった。
〈1981年 ドジャース4勝-ヤンキース2勝〉
ドジャースはスティーブ・ガービーが打率.417、ペドロ・ゲレーロが7打点。ヤンキースはルー・ピネラが打率.438と活躍したが、救援のジョージ・フレイジャーが3敗と、逆転負けを喫した。これがワールドシリーズでの最後の対戦となった。
ワールドシリーズでは11回対戦して、ヤンキースが8回優勝、ドジャースは3回。ヤンキース37勝、ドジャースは29勝だった。
交流戦が始まり04年に初対戦、通算成績は?
今回のワールドシリーズでの顔合わせは、この1981年以来、実に43年ぶりだ。この間、ポストシーズンは複雑になり、リーグ優勝してもワールドシリーズに出場するまでに、長い道のりをたどることになった。
しかし1997年からア・ナ両リーグの交流戦である「インターリーグ」が始まる。当初は同地区同士の対戦だったが、次第に対戦相手を他地区に広げた。ドジャースとヤンキースは、2004年に初めて対戦が組まれ、2007年以降は3年おきにカードが組まれた。2023年以降、各球団は両リーグの全球団と対戦することになったので、毎年ドジャース対ヤンキース戦が組まれている。その対戦成績を見ていこう。