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「お前、ひとりか?」落合博満が自宅前で記者に放った“問い”「俺はひとりで来る奴にはしゃべるよ」落合はなぜ、わざわざ波風を立てるのか?
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/10/12 11:01
中日ドラゴンズの監督を8年間務め日本シリーズに5度進出、2007年には日本一にも輝いた落合博満
そして落合はその日からパッタリと口を閉ざした。2006年が明け、2月の春季キャンプが始まっても、3月のオープン戦に入っても、そのことについては一切語らなかまった。報道陣が球場の正面口で待っていれば、わざわざ裏口にまわって撒いた。
だから、森野という挑戦者の待つリングに引きずり出された立浪がどうなるのか、誰もわからないまま時間だけが過ぎていった。
この立浪への処遇は、心の距離ができつつあった落合と選手たちとの間に、さらに深い溝を掘ることになった。立浪にさえメスを入れるのなら、自分たちに保証されるものなど何ひとつないではないかという、落合に対する畏れと緊張感が広がり、それは不信感と紙一重のところまでチームを侵食しているように見えた。それほど立浪という選手は、このチームにとっての聖域であった。
18歳でポジションをつかんでから、どれだけ監督の首がすげかえられても立浪だけはいつもグラウンドにいた。ファンや、球団を支える地元財界にとってもチームと立浪はイコールであり、ある意味で監督よりも大きな存在だった。そんなスター選手の処遇を誤り、もし結果が出なければ、逆に落合の首に跳ね返ってくる諸刃の剣でもあった。
なぜ、わざわざ波風を立てるのか
なぜ、落合という人間は、今あるものに折り合いをつけることができないのだろうか。
なぜ、わざわざ波風を立てて批判を浴びるようなことをするのだろうか。
落合は1年目にはセ・リーグを制し、2年目も2位と確実に結果を出していた。わざわざ、そんなリスクを冒してまで何を求めるのか。無言の裏に何を語っているのか。
私はそれが知りたかった。その衝動が末席の記者を落合邸へと向かわせた。
ジャケットを脱ぎたくなるような陽気のなかで、住宅街の桜には、ちらほらと葉が混じり始めていた。
関東で試合が行われる日の落合は、チームが宿泊するホテルではなく世田谷の自宅から通うのが常だった。横浜スタジアムでナイターが予定されていたこの日も、午前11時には家を出るはずだった。
3年前に初めて来た時と同じように、私はガレージの前に重たい鞄を置いて、そこに立っていた。何もかもを詰め込んでおかなければ不安になるのは相変わらずだったが、自分が末席の記者であるというコンプレックスは不思議と消えていた。
落合の前には指定席もなければ、席次表もない。そのことについては確信があった。あの休日のナゴヤドームで、私の隣にやってきた落合から感じたことだった。
門扉から現れた落合の問いかけ
やがて迎えのタクシーが静々と到着して、落合邸の前に停止した。
それから数分のうちに、玄関の錠を外す音が静寂を破った。