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「このままではダメだ」香川真司(35歳)が北京五輪で味わった最初の挫折とは「(長友)佑都と今でもよく話すのですが…圧倒されたんです」《NumberTV》
posted2024/10/10 11:13
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Takuya Sugiyama
【初出:発売中のNumber1106号[挫折地点を語る]香川真司「日の丸の重さを突きつけられた」】
香川真司、最初の大きな挫折とは
喜びに溢れた光景はほどなくして記憶の彼方へと過ぎ去っていくが、悔しさや屈辱の景色は脳裏に焼き付いて離れない。ドン底から這いあがる力を持つ一流アスリートは、挫折地点を鮮明に記憶する。それを成長の糧にするためだ。香川真司は、成田空港へ向かう飛行機のなかで心を支配していた想いを、昨日のことのように思い出せる。
「連敗を喫して、平気な顔をして帰ることなんてできないですよ。日本に帰るとき、『どういう顔で帰ればいいんだ?』と思っていました。同時に『これが国を背負うということか』とも感じさせられましたね」
香川がプロサッカー選手になって最初に大きな挫折を味わったのは、2008年の北京オリンピックだ。
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ちなみに、香川にとって初めての世界大会は2007年にカナダで行なわれたU-20W杯だった。当時18歳の香川は、“次の大会の主力”と目されている選手であり、能力がある選手は躊躇せずに上の世代に合流させるという当時の代表チームの方針によって、いわゆる飛び級でメンバーに選ばれた。カナダで出場したのは2試合だけで、先発はグループステージ突破を決めた後の3試合目だけだった。
「あのときは、基本はベンチでしたし、他のみんなは自分より年上だったので......」
自身が振り返る通り、当時は先輩についていく最年少の選手に過ぎなかった。
だが、2度目の世界大会となった北京オリンピックのときは違った。
大会の約2カ月前にすでにA代表でデビューしていたこともあり、主力選手として五輪に参加していたからだ。香川はオリンピックのアジア地区予選が終わった後に初めて候補選手に選ばれた。それは反町康治監督が、オリンピックのアジア予選と本大会では必要とされる能力が異なると考えたからだった。
「このままではダメだ」 直面した世界との差
香川が北京オリンピックを挫折地点と評するのは、二つの理由がある。
一つ目は、サッカー選手としてのレベルの差をつきつけられたからだ。
0-1で敗れたアメリカとの初戦で、同じ左サイドでコンビを組んだサイドバックの長友佑都と似た感想を抱いた。
「佑都と今でもよく話すのですが、アメリカ代表の右サイドバックにものすごいパワーを持った選手(マーベル・ウィン)がいたんですよ。Jリーグでは経験しないようなレベルの相手で、圧倒されたんです」
「Jリーグでは経験しない」という感覚は、香川にこう考えさせた。
「このままではダメだ」
<後編に続く>
【番組を見る】NumberTV「#6 香川真司 W杯での絶望、勝利への渇望。」はこちらからご覧いただけます。