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ぶら野球BACK NUMBER
「テレビ生放送で落合博満がいきなり…」40歳落合の巨人FA移籍は事件だった…ナベツネ「ウチなら5億円出す」原辰徳は不快感「落合さんは筋違い」
posted2024/10/08 11:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、巨人FA移籍という“事件”を紹介する。「40歳に期待するなんて…」「3億円の値打ちはないよ」落合移籍を巡る狂騒。【全2回の前編/後編も公開中】
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、巨人FA移籍という“事件”を紹介する。「40歳に期待するなんて…」「3億円の値打ちはないよ」落合移籍を巡る狂騒。【全2回の前編/後編も公開中】
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ナベツネ「ウチなら5億円出す」
1990年代の前半は、プロ野球界にとっても時代の変わり目だった。平成球界を取り巻く環境は猛スピードで変化しつつあり、読売新聞社の渡邉恒雄社長は「ドラフトを廃止できずにフリーエージェント制も導入できないなら、新リーグを作ればいい。革命的なことをやる時期に来ているんだ」とマスコミの前で吠え、中日の落合のことを聞かれると、「ウチなら5億円出す」なんて豪語してみせた。
FA制度を巡り、1993年の年明けに吉國一郎コミッショナー、セ・パ会長の三者会談でそのオフからの導入が確認されると、1月から3月末までの間に計22回も会議が開かれ、3月12日には読売・渡邉社長と西武・堤義明オーナーが共同戦線を張るため都内のホテルで極秘会談。資格条件を巡って、一軍出場登録日数1シーズン150日以上を10シーズンだけでなく、1000試合出場案も議論されていた。だが、そうなると“FAの草刈り場”になると囁かれた西武では、オーナーが寵愛してきた8年目の清原和博も対象になってしまう。ライオンズブルーの背番号3の肖像画をコクド本社の応接室に飾っていた堤にとって、清原だけはどうしても出したくなかった。
プロ野球界が焦っていた事情
巨人側は選手獲得時の補償問題で、FAにより選手を失った球団がドラフト会議で2位指名に入る前に特別指名権を得る案に断固反対しており、「ドラフトを撤廃すれば、企業努力しない、つまらない球団は潰れていく。自然淘汰されていくということだよ」なんてナベツネ節がマスコミを賑わす。