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「最後まで折り合いはつかなかったですね」インターハイ3冠も大学を1年で退学…陸上“歴代最強”高校女王が振り返る「過去の栄光との葛藤」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by(L)Shigeki Yamamoto、(R)JIJI PRESS
posted2024/10/13 11:02
インターハイ中距離3冠の実績を引っ提げ大学へ進学した石塚晴子だったがそこで壁にぶつかることに。最強女王に一体、何が起きたのだろうか
転機となったのは、大学1年の冬。大阪陸協の育成プログラムの一環で、ドイツ遠征に参加したことだった。
「選手と指導者がフラットな関係でディスカッションしている様子や、選手のパフォーマンスを第一とした環境にすごくワクワクしたんです」
裏を返せば、当時の石塚はそういう状況にはなかった……ということだ。
あまりのハードワークが祟ったのか、シーズン途中に座骨結節を損傷。しかし、自分の意思に反して試合に出場しなければならないことも多く、怪我をかばいながら走るうちに、腰までも痛めてしまった。
「周囲に身体が痛いと訴えても、病院を紹介してもらえるわけでもなく、逆に『できることはやったほうがいい』とまで言われて。私の高校3年間を見てきても、まだ練習をサボると思われることがすごくショックでした。自分自身の意思や身体を尊重してもらえない現実が、辛かったですね」
一方、ドイツのコーチやドクターに怪我の状況を伝えると「こんな身体で試合に出るなんて」「ちゃんと休んでほしい」と口々に心配された。
「練習が終わった後には『ハルコが怪我なくできてよかった』と目に涙を溜めて言ってくださる人もいて。ああ、大切にされるってこういう感じなのかって思ったんですよね。
大学には推薦入試で合格して学費も出してもらえて、『陸上をさせてもらっている』という引け目もありました。でも、それが自分のやりたいこととはあまりにも違うなって改めて感じて。自分の陸上を一緒に探求できるコーチと共に頑張りたいという気持ちになったんです」
「自分が求める陸上」をやりたい…大学を退学
誰かが求める陸上ではなく、自分が求める陸上をやりたい。19歳の彼女は帰りの飛行機の中でそう決意し、その1カ月後に大学を休学。そのまま退学した。
大学を離れた石塚は20歳の秋、ローソンに所属して競技を続けることを発表。そこから「自分の陸上」を突き詰める5年間が始まった。関西から上京し、城西大陸上部監督の千葉佳裕氏に師事。その後は、エージェントを通じてドイツ人のコーチと契約し、ドイツ語の練習メニューを翻訳しながらオンラインでコーチングを受けた。
2019年に約3カ月の休養を挟んだのち、アメリカ在住の岡本英司氏のもとでトレーニングを積んだが、コロナ禍でスケジュールの目途が立たず、契約を解消せざるを得なかった。そこから引退までは、TWOLAPSの横田真人氏、和田俊明氏とディスカッションを重ねながらトレーニングを模索した。