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「最後まで折り合いはつかなかったですね」インターハイ3冠も大学を1年で退学…陸上“歴代最強”高校女王が振り返る「過去の栄光との葛藤」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by(L)Shigeki Yamamoto、(R)JIJI PRESS
posted2024/10/13 11:02
インターハイ中距離3冠の実績を引っ提げ大学へ進学した石塚晴子だったがそこで壁にぶつかることに。最強女王に一体、何が起きたのだろうか
過去の栄光との葛藤は…「最後まで折り合いはつかなかった」
学生陸上を離れてからの5年間、自己記録を更新することはなかったが、自ら指導者にアプローチし、さまざまなトレーニングで試行錯誤を重ねることに意義も感じていた。しかし、どれだけ現状のベストを尽くしても、華々しい過去の実績と比較され、厳しい評価を下されてしまう。
自らの意思に関わらず、過去の栄光が付きまとう現状とどう折り合いをつければよいのか。常にそんな葛藤を抱えていた。
「結局、最後まで折り合いはつかなかったですね。会社への申し訳ない気持ちとか、上手くいかないもどかしさ、無念さをたくさん感じて、幾度となく心が折れそうになる瞬間がありました。それでも、まだ応援してくれる人たちがいたから『もうちょっと頑張ってみようかな』と続けてこられたのかもしれません」
石塚は2022年10月、MDC兵庫大会を最後に現役引退を報告。決定的なトリガーがあったわけではなく、競技を続けたい理由と辞めたい理由、両極の感情が積もり積もった天秤が後者に傾いたタイミングだった。
「ずっと2つの感情が積み重なっていて、それが『引退』のほうにガクッと傾いたという感じです。なかなかトレーニングが継続できない状況で、会社からサポートを受け続けるのに違和感もあって。だったら、競技者というフェーズを終えて、いち社会人として役に立てるような人間になろうという気持ちになりました」
たとえ周囲が求める結果とは違っていたとしても、自分が求めてきた「陸上の形」に近いものを築けたという納得感もあった。「誰にも真似できない13年間だった」。石塚は引退セレモニーでこう語り、トラックを去った。
「一番輝かしかったのは高校時代でしたけれど、あれだけ成功した後にいっぱい挫折できたのは、逆にすごい経験かもって(笑)。上手くいく確証がなくても前に進む自分になれたのは、陸上から受け取った大きな財産だと思っています」
現役時代から女子選手のユニフォームや迷惑撮影、指導者との関係性について問題提起を重ねてきた石塚。引退して自らの競技人生を振り返った今、次世代のアスリートに伝えたいことがある。
<次回へつづく>