プロレス写真記者の眼BACK NUMBER

「猪木が秘書になってくれと言っている」燃える闘魂がホレた“福岡の老舗”とは?「後追いしそうに…アントニオ猪木がすべてなので」店主が語る猪木愛 

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

PROFILE

photograph byEssei Hara

posted2024/10/01 11:01

「猪木が秘書になってくれと言っている」燃える闘魂がホレた“福岡の老舗”とは?「後追いしそうに…アントニオ猪木がすべてなので」店主が語る猪木愛<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木が書いた「藤よし」の看板の前で笑顔を見せる「サダさん」こと店主の早川禎行さん

 猪木は福岡で1泊2日を過ごして大阪に移動していった。しばらくしてから電話があった。

「満天さんからでした。一生懸命やってくれたらしいね。ありがとう。猪木が『あれは誰だ?』って言っていた、と」

「猪木が秘書になってくれと言っている」

 それからというもの、サダさんは猪木が福岡に来るときは空港に迎えに行くようになった。

「白覆面の福岡ドームの時でした。試合を見終わって帰ろうとしていたら武田がやってきて、猪木会長がサダくんの所でこれからメシ食いたいって。店は休みで何も用意していないから、慌てました」

 2000年5月5日、猪木は白覆面の柔道着姿で福岡ドームの花道を歩き、小川直也、村上和成組のセコンドについた。その夜、猪木は小川らとサダさんの店にやってきた。

「猪木さん、へべれけに酔っていました。泡盛を4升もあけていましたから。猪木さんは刺身が好きでした。冬はフグです。明太子やウニを乗っけたりして。ふんどし担ぎでいろいろなところに連れて行ってもらいましたけど、出てくるものが違うんですよ。一人10万円のコースとかですから。でも、猪木さんが楽しそうに見えたのはお客さんが帰った後、ラウンジの奥で葉巻をくわえている時ですかね」

 サダさんが遠い目をした。

「『最後の闘魂』っていうYouTubeチャンネルがありましたよね。その中で、福岡にオレの親戚がいてね、って言うんですよ。親戚? そう言ってくださるのか、とうれしくなりました」

 猪木から時々、電話があった。「おお、元気か。店はどうだ?」「まだ借金だらけですよ」「ダメだな。頑張れよ」「子供はまだかい?」。

「30歳になる前でした。満天さんから連絡があって、『猪木が東京に出てきて秘書になってくれ、と言っている』と。月給も提示されました。東京に行こうかと思いました。その頃、同棲していた女性(現在の妻・美樹さん)に『一緒に来てくれ』って言ったら『一人で行って、私、別れるけん』と。美容師だから、手に職があるから大丈夫かと思ったのですが……。結婚したい人がいるので、と言って、この話はナシにしてもらいました」

 原さんはズッコさん(最後の妻・橋本田鶴子さん)がどこの人か知っていますか? とサダさんは聞いてきた。「よくは知らないけれど、東京?」と言うと「仕事ではそう言っていたようですね」と話を続けた。

【次ページ】 「まだオレのサインが欲しいのか?」

BACK 1 2 3 4 5 NEXT
#アントニオ猪木
#倍賞美津子
#ウィリエム・ルスカ
#坂口征二
#藤原喜明
#小川直也
#村上和成
#橋本田鶴子
#木村健吾

プロレスの前後の記事

ページトップ