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59歳早すぎる死「ケーキ屋見習いからW杯得点王」名門移籍後は酷評→Jで93戦65発…「エロエな点取り屋」スキラッチ“究極の成り上がり人生” 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byKoji Asakura

posted2024/09/29 17:02

59歳早すぎる死「ケーキ屋見習いからW杯得点王」名門移籍後は酷評→Jで93戦65発…「エロエな点取り屋」スキラッチ“究極の成り上がり人生”<Number Web> photograph by Koji Asakura

ジュビロ磐田時代のスキラッチ。59年で生涯を閉じたカルチョの名ストライカーの人生は、起伏と味わいがあるものだった

「弟2人に妹1人、親父は壁塗り職人だった。親父と生活を助けたくて、17歳でメッシーナ(当時セリエC2=4部)に拾われるまで、タイヤ修理工からケーキ屋見習い、行商人まで仕事なら何でもやった」

 昨年春、伊紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』との最後のインタビューで人生を赤裸々に語っている。

 島の北東部にある港町の4部クラブに入ってプロの端くれにはなったが、チーム内の序列は最底辺、ベテランたちの荷物持ちだった。レギュラーFWの怪我でつかんだ出場機会に即ゴールを奪い、その後ポジションを手放さなかった。

イタリアW杯、控えFWのはずだったが

 点取り屋としての才能が開花しつつあったセリエC時代のスキラッチは、チームのミーティング参加を免除されていた。得点への独特の嗅覚を持っていた彼は戦術に縛られず、自由にプレーすべしと当時の監督から許しを得ていたからだ。

 後にジェノアでFW三浦知良を指導する監督フランコ・スコーリオ(2005年没)や独自の攻撃哲学で知られる智将ズデネク・ゼーマンに鍛えられ、ゴールの嗅覚を磨いた。88-89年シーズンのセリエBで得点王になると、名門ユベントスから御声がかかった。

 国中のサッカー選手にとって目の眩むような立身出世を遂げたスキラッチは、入団1年目に通算21ゴールを挙げ、コッパイタリアとUEFA杯制覇に貢献。自国開催のW杯を控えていた代表監督アゼーリオ・ビチーニ(2018年没)の目に留まり、25歳で抜擢された。あくまでリザーブ役のはずだった。

W杯で神がかったゴールへの嗅覚

 運命の扉が開いたのはオーストリアとのW杯初戦だ。0−0の硬直状態に75分から途中出場したスキラッチは、投入からわずか4分後にジャンルカ・ヴィアッリ(2023年没)のクロスに飛び込み、豪快にヘディングで叩き込んだ。

 ホスト国の緊張と呪縛を解き放つ一発は決勝点となり、アッズーリは勢いに乗った。スキラッチは3戦目のチェコスロバキア戦(2−0)でも1タッチゴールによる先制点をお見舞いすると、決勝トーナメントに入ってもウルグアイとの1回戦からアイルランドとの準々決勝でもゴールネットを揺らした。初戦でスキラッチと交代したFWアンドレア・カルネバーレを気に留める者は最早誰もいない。

【次ページ】 ユーベでバッジョと名コンビも侮辱され…

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