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「あの頃はマジでキツかった…」ラグビー人生の絶頂にいた堀江翔太は、なぜ“ラグビーやめよう”と考えたのか? W杯8強につながるサンウルブズ始動 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2024/09/08 11:10

「あの頃はマジでキツかった…」ラグビー人生の絶頂にいた堀江翔太は、なぜ“ラグビーやめよう”と考えたのか? W杯8強につながるサンウルブズ始動<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

昨季限りで現役を引退した堀江翔太(38歳)。日本ラグビーの激動期を歩んだキャリアを振り返った

 ワイルドナイツで長く現役生活を送る一方、堀江は日本代表の「顔」であり続けた。2011年、25歳で初めてW杯のメンバー入り。

「ニュージーランド大会の時は、僕はフッカーとしては経験が浅かったですし、仕事らしい仕事はできませんでしたね。それまでナンバーエイトでプレーすることが多かったんで。でも、あの時はスクラムコーチもいませんでしたし、その後の日本代表の組織と比べれば、準備不足だったんだなということは感じます」

 そして2015年大会。南アフリカを破る「ブライトンの奇跡」。29歳の堀江はキャリアの絶頂期にあったように思う。安定したスクラムの要となり、アタックラインに入っては軽妙なパスを放ってチャンスメイク。そしてラインアウトスローでは100%確保を実現した。

「そのラインアウトの数字、偶然じゃないです。それくらい練習してたと思いますし。コーラー(サインを出す選手)、ジャンパー、リフター、そしてスローワーの僕のコンディションが、ほんまに良かったと思います」

 世界から称賛を浴びた奇跡。しかし、その光が強かった一方、2019年日本大会に向けて走り出した日本のラグビー界にあって、堀江は「ラグビーやめたい」と思うほど、悩むことになる。

「2016年はマジでキツかったです。2015年のW杯でラグビーがすごく盛り上がって、そのままトップリーグが開幕して、終わってすぐスーパーラグビーが始まったわけです。『0から1』にするって、こんなにしんどいことなんかと思いました」

第2回につづく)

#2に続く
「コーチにボロカス言われた」“衝突”を繰り返した堀江翔太がジェイミージャパンに重宝された理由「判断がないラグビーなんて、どこがおもろいねん」

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