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「コーチにボロカス言われた」“衝突”を繰り返した堀江翔太がジェイミージャパンに重宝された理由「判断がないラグビーなんて、どこがおもろいねん」
posted2024/09/08 11:11
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Kiichi Matsumoto
「2016年はマジでキツかったです。2015年のW杯でラグビーがすごく盛り上がって、そのままトップリーグが開幕して、終わってすぐスーパーラグビーが始まったわけです。『0から1』にするって、こんなにしんどいことなんかと思いました」
スーパーラグビーへの参加は、もとはといえばエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチのアイデアだった。2015年大会開幕の数カ月前、日本代表の面々にこのアイデアが発表され、W杯に全身全霊を懸けるつもりだった選手たちは戸惑った。「参加」という事実が走り出し、選手たちはその流れに巻き込まれる。
「日本のために参加するしかないなと思いました。ここでキャプテンをやることになったんですが、難しかったのは、選手たちのモチベーションがバラバラだったこと。次の日本大会に向けてサンウルブズでも結果を出さなきゃいけないと思っている人もいれば、海外出身の選手のなかには、とりあえず今年はここでプレーしてお金もらうと割り切ってるだけの人もいて。こんなこと言ってしまっていいのかとも思いますが、中には一緒にラグビーやるのがしんどいなと思う人もいました」
チーム内の温度差は、キャプテンの堀江にとって大きなストレスとなっていく。
「引退した方が楽だなと思ったんです」
「僕は成果を出したかったんです。だから、チームをまとめなあかん、みんなのモチベーションはどうやったら上がるんかなとずっと考えてました。でも、負け続けて、どんどんネガティブな方へ向かっていく。『全部負けたらどないしよ』という不安もあったし、焦ってたんかな」
堀江は初めてラグビーをやめたいと思ったという。
「引退した方が楽だなと思ったんです。だから、信頼できる人にも相談して」
そこで返ってきた言葉は、堀江の引退へ傾いていた気持ちをなんとかラグビーにつなぎとめた。
「現代風にいうと、僕は要らん苦労はしなくてもいいと思ってるんです。でも、アドバイスしてもらったのは、アスリートは引退してからの社会生活の方がうんと時間は長い、と。正直、社会に出たら嫌な人とも仕事しなければいけないし、その準備じゃないけど、嫌なことを今のうちに経験するのはプラスになる、と。(どの世界でも)避けられない人間関係もあるんやな、と思いました。いったんやめて、好きなことをやるのも手だよ、と言われたんですが、結局、引退しきれなかった感じです」