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同い年の大谷翔平に「すいません、写真撮ってもらえませんか?」と突撃して…中日・柳裕也が振り返る横浜高の青春時代と「大谷世代」の本音
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/08/24 11:01
中日・柳裕也の横浜高時代
「すいません写真撮ってもらえませんか?」と「ありがとうございました」。ハッキリと覚えているわけではないが、柳が発した言葉はこれだけだった。普段、自分がファンからかけられている言葉である。対面はしたが、会話としては成立しているとは言いがたい。柳といえばコミュニケーション力の高さではチームでダントツだが、それでも大谷のオーラに圧倒されたようである。
柳が語る「あの夏の衝撃」
「現実味がなさすぎると言うか、むしろ『本当にいるんだ!』って感じですよね」
シーズン中はナイターの日の午前中なら、自然とMLB中継を見る。だから二刀流の大谷は毎日のようにテレビの中で活躍するスーパースターだった。「あこがれるのをやめましょう」という名言が出たのは、この写真撮影の後のことだが、あこがれの選手の実在を確認できたあの日。その選手がたまたま同い年だったというだけのこと。そして、あの夏に受けた衝撃に話は及んだ。
「たぶん、高校最後の夏は僕の方が先に負けてると思うんですよ。僕が引退して横浜駅かどこかのショッピングモールのエスカレーターで、スマホを見た記憶があるんです。え、高校生が160km?って」
「160km出したあの大谷が」
12年前の記憶は正確と不正確が折り重なっている。横浜高が神奈川県大会準々決勝で桐光学園に敗退したのが7月25日。花巻東が岩手県大会決勝で盛岡大付に敗れたのは翌26日。つまり「柳が先」は正しいのだが、大谷が160kmを出したのはその1週間前(19日)の準決勝(一関学院戦)だった。
その年は盛岡でプロ野球のオールスターが開催されたため、準決勝から決勝(当初の予定は25日だったが、雨天順延)まで日にちが空いていたのだ。つまり時系列で並べれば160km→柳敗退→大谷敗退の順になる。恐らくは「160kmを出したあの大谷が敗れる」という2つの衝撃ニュースを、同時に知ったからではないだろうか。
そんな柳は宮崎県都城市生まれ。横浜高は越境入学だが、いわゆるスカウト網にかかった野球留学とは違う。松坂大輔にあこがれて熱望し、自ら売り込んだからだ。
渡辺監督を“出待ち”して直訴
「僕が中学3年のときに横浜高が宮崎県に招待試合で来たんです。そこで関係者の方にご協力いただいて、渡辺元智監督を出待ちしたんです。僕を入れてくださいって」
関係者からの口添えもあったようで、練習見学の話がまとまり、夢の扉を自らこじ開けた。母子家庭に育った柳は、甲子園に出て大学に進み、プロに入って活躍することが母親への恩返しになると15歳で決めていた。そのための出待ち直訴。旺盛な突撃精神は、少年期にはすでに培われていたようだ。