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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「当初は嫌で嫌で…」“ダメな新人アナ”が高校野球実況に目覚めた“伝説エースの岡山決戦”「平松政次さんと森安敏明さんの投げ合いです」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySanyo Shimbun/Kyodo News
posted2024/08/22 11:24
岡山東商時代の平松政次。彼の存在が、83歳の今も現役で実況するアナウンサーが目覚めるきっかけとなったという
「NHKでラジオの中継をしたのですが、2台中継車を出して、1号車には野球の実況中継を志す若手が乗った。そして『島村、スポーツが好きらしいから2号車に乗せてみよう』ということになったんです。
初めての駅伝の中継、私は夢中で喋りました。2日間の放送が終わって、放送席を降りてきたときに通りかかった運転手さんに『島ちゃん、お前よかったよ』と、初めて褒めてもらえたんですよね。後で知ったのですが、若いアナウンサーを指導するときは、下手でもダメでも終わったら『良かったよ』というものなんですね。もちろん、いつまでも『良かった、良かった』と褒められてばかりではダメなんですが」
平松vs森安の投げ合いから、気付けば甲子園で365戦実況
スポーツアナウンサーとして頑張ってみようか——そう思い始めたときに、高校野球の東中国大会を担当することになった。その決勝、岡山東商と関西高校の対戦で、2人のエースの投げ合いを目にしたことで、島村アナの思いはより一層強くなる。
「岡山東のエースは大洋のエースになった平松政次さん(のちにカミソリシュートを武器にNPB通算201勝)。ボールも速いし、コントロールも良かった。そして関西は東映で投げる森安敏明さん(NPB通算58勝)。アンダースローでものすごい投手でした。
この放送は私の担当ではなくて、先輩のアナウンサーが実況中継するのを、私は隣でスコアを付けながら聞いていました。それでも素晴らしい試合、そして素晴らしい実況でした。私はこの試合を見て『スポーツ、野球はいいな』と初めて思ったんです。こんな風に実況ができるのならアナウンサーをやってみようと、初めて決心がついたんですね」
ここから島村氏のスポーツアナの本格的なキャリアが始まった。鳥取局、鹿児島局での勤務を経て1972年には甲子園の実況を担当するようになる。
「数えてみたら25年、春夏の甲子園で365試合喋りました。実況を担当したのは220試合、インタビューやリポートも含めれば365試合になります。汗と涙の名勝負が数々浮かんできます。たくさん喋った中には、たくさんの名シーン、ドラマがあったのですが……」
島村アナの記憶に残る“定岡正二がいた鹿実の試合”
こう語る島村アナが「たった一つ、目に浮かんでくる試合があるんです」という一戦がある。
その試合とは、1974年の「第56回全国高等学校野球選手権大会」の準決勝、鹿児島実業が防府商業に1−2でサヨナラ負けした試合だ。
この年の鹿児島実業のエースは、のちに巨人に入団する定岡正二だった。前日の準々決勝では原辰徳擁する東海大相模相手に延長15回の激闘のち勝利を挙げた。しかし翌日、島村アナが実況した準決勝で、定岡は早々にマウンドを降りることになった――。
<つづく>