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「痛めた手で涙する仲間を」東海大相模・原辰徳に勝った翌日…“甲子園で365戦実況”83歳アナが忘れない“鹿実アイドル”定岡正二の去り際

posted2024/08/22 11:25

 
「痛めた手で涙する仲間を」東海大相模・原辰徳に勝った翌日…“甲子園で365戦実況”83歳アナが忘れない“鹿実アイドル”定岡正二の去り際<Number Web> photograph by JIJI PRESS

鹿児島実業時代の定岡正二(左)。いわゆる“甲子園アイドル右腕”の1人だ

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 47都道府県の故郷の期待を背負って各校が戦いに挑む、夏の甲子園。その中継に必須なのが実況アナウンサーの存在だ。NHKで数多くの試合を伝え、今もなお現役でスポーツ実況に携わる83歳のアナウンサーに、記憶に深く刻まれた一戦を聞いた。〈全2回〉

 元NHKアナウンサー島村俊治(としはる/83歳)氏は、実況者として春夏の甲子園に通算365試合も携わってきた。そんな島村氏の記憶に最も残るのは、1974年夏の甲子園「第56回全国高等学校野球選手権大会」の準決勝、鹿児島実業−防府商業だという。

原辰徳が中心の東海大相模に、延長15回の末に勝利

 実は鹿児島実業は、この前日の準々決勝で東海大相模と延長15回の大熱戦――高校野球としては異例の3時間38分を要し、5−4で鹿児島実業が勝利した――を繰り広げたことが伏線にもなっているという。

「原辰徳が東海大相模の中心打者でしたね」

 こう懐かしむ島村アナは、準々決勝もまた、記憶に残る場面があったという。

「私は翌日の試合で喋るので、放送席の横でずっと見ていました。すると12回を過ぎたときだと思いますが、球審の永野元玄さんが、放送席の裏の方にやってきて深々とお辞儀をしたんです。一般の人から見たら、誰かに“ごめんなさい”って謝っているように感じたかもしれません。実は、私は永野さんと『試合が終わったら一杯やりましょう、食事をしながら野球談議をしましょう』と約束していたんです。でも、延長戦になってそれができなくなった。律儀な永野さんはそれで謝りに来たんですね。私も永野さんに手を挙げて合図をしました」

 なおこの一戦、試合が長引いたのでNHKは途中でテレビ中継を終わり、ラジオ放送に引き継いだ。NHKは7時のニュース、続いて人気番組「連想ゲーム」を放送した。筆者は父親とともにラジオにかじりついたのを覚えているが、NHKには「なぜテレビ中継をやめるんだ」と苦情が殺到し、翌年から総合テレビと教育テレビ(現Eテレ)で、リレー中継するようになった逸話が残っている。

定岡のユニフォームがビショビショに濡れていたワケ

 そして翌日、島村アナが実況を担当する鹿児島実業と防府商業の一戦を迎えた。その鹿児島実業には、甲子園のアイドルとなったエースがいた。

【次ページ】 定岡のユニフォームがビショビショに濡れていたワケ

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島村俊二
原辰徳
東海大相模高校
定岡正二
鹿児島実業高校

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