甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平“史上初の高校生160キロ”を見た男・鈴木匡哉の回想「仮想・大谷の170キロのマシンより…」それでもバットを短く持たなかった
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byKatsuharu Uchida(L)/JIJI PRESS(R)
posted2024/08/22 11:03
2012年の岩手県大会、大谷翔平が高校生史上初めて160キロのボールを投じたときに打席にいた一関学院高校の鈴木匡哉さん。現在は福岡県の香椎駅で駅員として勤務している
ただ、2012年夏、岩手大会準決勝で再戦した花巻東のマウンドに立った大谷の威圧感は「トップガン」以上だった。
「マウンドから投げ下ろされる角度が、もう目で見て違いました。それ以上に気迫や、伝わってくるものも違いましたね」
鈴木さんは「5番・一塁」で出場。初回表に幸先良く先制も、先発投手が3回裏に4失点。4回裏途中から2番手で登板した鈴木さんも勢いを止めることができず、5回終了時点で1-8と大きく水を開けられた。そして7点を追う6回表。鈴木さんは2死一、三塁の好機で左打席に立ち、「投手・大谷」と、この試合3度目の対決を迎えた。
「僕の打席では、1打席目で153キロが来ていて、確かレフトフライでした。そして6回は負けているとはいえ、こちらがチャンスだったので、大谷選手の目つきが変わって、ギアを入れてきているような感じでした」
史上初の「160キロ」の瞬間
その言葉通りに初球、157キロ直球が高めいっぱいに決まる。2球目は154キロが外角に外れ、無警戒だった一塁走者が二盗に成功。大谷は、鈴木さんを抑えることしか集中していなかった。そして4球目、159キロが膝元をえぐった。どよめく岩手県営野球場。その後、フルカウントとなり、迎えた6球目。一瞬「低い」と思った内角の勝負球にバットが出ず、見逃し三振に終わった。オール直球勝負。電光掲示板には、高校球界で初めて「160キロ」の文字が映し出されていた。
「完敗ですね。ボールだという認識でしたが、映像で見ると、ここ一番のナイスボールです。ストライクだと思ってスイングしていても、ボールはミットの中だったでしょうね」
鈴木さんは結局3打数無安打に終わり、チームも1-9で7回コールド負け。花巻東の、大谷の厚い壁に阻まれ、甲子園には届かなかった。ただ、通算7本塁打を放った打撃スタイルを変えることなく、バットを長く持ったまま、極上のスピードボールに立ち向かった。「そこが敗因かもしれないですね」と笑うが、最後まで自らの矜恃を曲げなかったあの打席は、鈴木さんの誇りだ。