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“失明の危機”で引退を決意「ボクシングで命を落とすこともある。怖い。でもね」大和田正春を再びリングに戻した赤井英和からの映画オファー 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byWataru Sato

posted2024/08/22 11:02

“失明の危機”で引退を決意「ボクシングで命を落とすこともある。怖い。でもね」大和田正春を再びリングに戻した赤井英和からの映画オファー<Number Web> photograph by Wataru Sato

39年前、赤井英和にKO勝利を収めて一気に注目を集めた大和田正春さん

 試合の翌日、迷わず病院に足を運んだ。診断結果は予想通り。失明の危険性がある網膜剥離。腕利きのドクターも、大和田の右目を覗き込んで表情を曇らせた。

「これはずいぶん進行しているね。もう手遅れかもしれないよ。とりあえず、手術してみよう」

 視力が戻る可能性は低いと思われたが、オペは無事に成功。それから、年が明けた1988年に王者のまま現役引退を表明し、心置きなくグローブを吊るした。

 プロ戦績は28戦16勝(14KO)11敗(9KO)1分け。その後はボクシング界から離れ、ずっと続けてきたメッキ工の仕事に専念した。

運命を変えた映画出演オファー

 平穏無事な日々を過ごしているときだった。運命はまた動き出す。かつてリングで拳を交えた赤井英和の初主演映画『どついたるねん』(1989年公開)への出演依頼が来たのだ。すぐには返事を出せなかったという。

「いろいろな人に相談しました。角海老ジムの創設者、鈴木正雄さんからは『力を貸さないとダメだ』と言われ、懇意にしていたボクシングマガジン編集長の山本茂さんには『自分のためにもなるよ』と諭されました。悩んだのは、自分に役者が務まるかどうか。目の手術を終えて、月日も経っていなかったのでボクシングシーンを演じる怖さもありました。あとはボクサー役のために痩せないとダメだったので、体を絞る自信がなくて(笑)」

 勤務する高松電鍍工業の工場移転に伴い、東京都内から埼玉県狭山市に移り住んだため、自宅近くでボクシングの練習する場所も心当たりがなかった。そこでボクシングマガジンの山本編集長に紹介してもらったのが、狭山市駅近くの多寿満ジムだった。

 住所を聞けば、何度も目の前を通り過ぎていた。1階は砂利の駐車場、2階は工場の事務所のようにも見える。ツタが生い茂る鉄の螺旋階段を昇ってドアを開くと、板張りのリングにロープが張られ、その脇にはサンドバッグが並ぶ。白いヒゲが混じるようになった63歳の大和田は、古き良き時代を感じさせるジムをぐるりと見渡し、懐かしそうに昔の記憶をたどる。

「『どついたるねん』の撮影前も、同じ場所でサンドバッグを叩いていたんですよ。35年以上前ですけどね。このジムは昔のまま。ほとんど変わらない。あの頃から田島柾孝会長も、よくしてくれています」

 スクリーン内で見せた現役さながらに打ち合うシーンは、多寿満ジムで準備したものである。セリフが入った1カットは、練習の必要はあまりなかった。主人公役の赤井に『元気やった?』と尋ねられ、『目をやられて、引退です』としみじみと話した名場面だ。映画はフィクションとして描かれていたものの、現実の世界がそのままオーバーラップする。

「演技をするよりも素でいいんだな、と思いました。あれは事実でしたから」

【次ページ】 現在もぼやける目「ボクシングは怖い。でもね」

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