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“失明の危機”で引退を決意「ボクシングで命を落とすこともある。怖い。でもね」大和田正春を再びリングに戻した赤井英和からの映画オファー
posted2024/08/22 11:02
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Wataru Sato
1985年2月5日、関西で絶大な人気を誇った『浪速のロッキー』こと赤井英和は衝撃のKO負けを喫し、さらに生死をさまよう重傷を負った。咬ませ犬とも揶揄された大和田正春は下馬票を覆す大金星を挙げたわけだが、その後のボクシング人生は波瀾万丈だった。あれから39年、63歳となった本人の元を訪ねた。【NumberWebノンフィクション全3回の最終回】
番狂わせを起こした赤井英和戦の4カ月後、ノーランカーの飛鳥良にまさかの黒星を喫した大和田正春は、一時、引退を考えた。それでも、育ての親である伯母・久子さんの一喝もあり、再びボクサーとしての道を歩み始めた。
覚悟を新たにした7カ月ぶりの再起戦。「負けたままでは結婚できない」と、赤井戦の前から交際していた恵美子さんと将来の約束までかわしていた。しかし、1986年1月27日、日本ウェルター級2位の木村栄治にKO負け。しかも92秒で決着するという派手な結末に、後楽園ホールは沸き上がった。赤井を倒した男は、引き立て役になってしまった。
「いやー、あそこで負けちゃって……。でもね、辞めようとは思わなかった。もう一人の自分が言うんですよ。『お前はまだ何も力を出してない。こんなんで辞められないだろ』って」
「またガラスの顎」評価はガタ落ち
スポットライトが当たる大阪府立体育館で『浪速のロッキー』を倒してから2連続KO負け。専門誌のボクシングマガジンには『またガラスの顎』と報じられるなど、すっかり評価を落としてしまった。これで戦績は9勝10敗1分け。本当のリスタートは負け越してからだった。木村戦後に入籍を済ませ、心に誓う。
「俺と結婚した人に一度くらい『チャンピオンの奥さんだよ』と周りに言ってもらえるように頑張ろうと。絶対にチャンピオンになるんだと思ったのも、このときが初めてだったかもしれないです」