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“失明の危機”で引退を決意「ボクシングで命を落とすこともある。怖い。でもね」大和田正春を再びリングに戻した赤井英和からの映画オファー
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byWataru Sato
posted2024/08/22 11:02
39年前、赤井英和にKO勝利を収めて一気に注目を集めた大和田正春さん
劇中では実際に引退のきっかけとなった右目ではなく、左目を指さしてセリフを口にしたが、実は後にもう片側も網膜剥離を発症して手術しているのだ。その左側だけは完治に至らず、現在もぼやけてはっきり見えないという。リングから離れ、あらためて客観的な視点でボクシングという競技を見ると、まっすぐな気持ちで好きとは言えない。
少し間を置いて、静かに口を開いた。
「はっきり言えば、ボクシングは怖いです。殴り合いなので、暴力的な一面もある。他人の体を痛めつけてしまうこともあれば、自分の体が傷つくこともあります。へたをすれば、命を落とすこともある。外から見ていれば、よくやるな、と思います。でもね、多寿満ジムに来て、若い選手たちや練習生を見ていると、そんな心配をしているようには見えないんですよ。俺も昔はそうだったのかなって。そう思えるのも、このジムのおかげです」
いまも仕事が休みの土曜日はジムによく顔を出し、助言を送っている。今年5月、アマチュアからプロに転向し、女子C級ライセンスを取得した津端ありさも指導する一人だ。ミットを持つと、普段の柔和な表情がガラリと変わり、熱が入る。東京大会、パリ大会とオリンピック出場を目指していた有望株には期待を寄せていた。
ただ、大和田はボクシングだけに情熱を注ぎ込んでいるわけではない。定時制高校に通いながら15歳で入社した高松電鍍工業は勤続49年目。プロボクサーの頃も同じメッキ工の仕事に打ち込んでいた。
試合前に休みをもらうことはあっても、基本的に平日は工場に出勤。どれだけ練習が厳しくてもさぼらず、華やかな世界を見ても心が揺らがなかった。赤井を倒せば、「人生が変わる」と言われたが、「俺の人生は変わらなかったね」と豪快に笑う。むしろ、変えなかった。「仕事は途中で絶対に投げ出すな」という祖父との約束をいまだに胸に留めているのだ。メッキの話になれば、ボクシングと同じくらい饒舌になる。
「俺はメッキ屋なんで、品物が敵みたいなもの。いまはそいつらをやっつけて、不良品を出さずに仕上げるのが、俺にとってのノックアウト勝ちです」
まっすぐ生きてきた波乱万丈のボクサー人生
今も昔も変わらぬ仕事で汗を流し、出会って40年になる生涯の伴侶、その妻が『拳王』と名付けたかわいい猫と暮らす生活は充実している。行きつけの暖簾がかかった焼肉店でビールを飲めば、「俺ね、いまも嫁のことが大好きなんだよ」と目尻を下げる。
義理と人情と愛情に厚く、真面目一徹。リングでは派手に倒し倒され、波乱万丈のボクシングキャリアを送った男も、長い人生は地道にまっすぐ生きてきた。そして、それはきっとこれからも変わらないのだろう。
(第1回から続く)